⑦ 最終意見陳述

 京大時計台裁判の私の被告人としての最終意見陳述である。京都地裁第15号法廷(旧陪審法廷)で、第56回公判(1978年3月29日)の結審時、被告人のトップを切って私が行った。29歳の時である。(「京大時計台裁判の10年」第1集所収)


 

目 次

1 はじめにー裁判長期化の問題

2 裁判をふりかえって

   「判決」以前の判決に対する抗議

(1) 長期勾留の問題

(2) 保釈(高額保釈金)の問題

(3) 統一公判の問題

(4) 訴訟指揮の問題

(5) 被告S君に対する保釈取消問題

3 裁判における我々の主張

(1) 基本的主張

(2) 不退去罪について

(3) 凶器準備集合罪について

(4) 公務執行妨害罪について

(5) 傷害・殺人未遂罪について

4 最後に

 

 

 三里塚で、農民が、労働者が、そして学生が、自らの血をもって三里塚人民抑圧空港のそのもつ意味を明らかにする闘いが続いている。国家的威信をかけて、何が何でも30日に開港しようとした政府―公団側は、そのような闘いの前に開港を延期せざるをえない事態に追い込まれるという、三里塚空港30日開港をめぐる一大攻防戦が続いている真只中に、偶然的一致とはいえ、我々の裁判が結審を迎える事になったのは、一つの象徴的意味をもっているように見える。

 

1 はじめにー裁判長期化の問題

  69年の12月に初公判をもって以来、本日の結審まで足掛け10年、実質的には8年と4ヶ月かかっている。私の場合で言えば、第1回公判が21歳の時で、今日の結審が29歳の終わりであり、いわば20代の青春全部がこの裁判に費やされてしまったことになる。メーデー事件の一審判決まで14年という例を持ち出すまでもなく、一般的に政治的な刑事事件は、一般刑事事件と較べて裁判が長期になりがちである。

  この原因はいろいろ考えられるだろう。

  この原因を被告人にだけ帰し、審理を円滑に進行させるためにという名目で、弁護人抜きの裁判を可能にするような特例法の立法化の動きがある。我々の場合も以前に裁判官を忌避した時、裁判を遅延させるだけの目的でなされたと判断され、簡易却下されたことがあった。

  しかし、弁護人の解任の問題にしろ、裁判官忌避の問題にしろ、これは被告人とされた者の「公正な裁判を受ける権利」から生じたもので、何ら制限されるべきものではない。被告人の当然の権利である。政治的な刑事事件の裁判長期化の原因を単に被告人の側にだけ帰すことは誤っている。

  原因の一つは、明らかにその事件の政治的性質に基づいている。起訴事実とその政治的背景をめぐって、検察側と被告人・弁護側は当然全面的に対立し、その結果、検察側も立証に時間をかけざるをえないだろうし、我々とすれば、我々の闘いの正当性、従って逮捕―起訴の不当性を明らかにするために、意見陳述・検察側の証人に対する反対尋問・被告人質問・最終陳述など、裁判上の形式的制約の中で利用できる、あらゆる機会をとらえて我々の見解を述べるだろう。実際我々はこの裁判でそうしてきた。しかし、我々はむやみやたらと時間をかけ、判決を引き延ばしてきたのではない。被告人相互で意見が重ならないように事前に打ち合わせを行い、それぞれ分担を決め、意見の発表を行って時間の短縮に協力してきた。しかしながら、このように長期になってしまったのである。

  このことの原因の一つは、明らかに裁判所にもある。一つは、当初時計台と医学部図書館を分離して裁判を強行しようとしたこと。そして、統一第1回公判で、警察官を法廷に導入し、傍聴人を多数暴力的に排除するという強引な訴訟指揮を行ったこと。その時、我々は当時の橋本裁判長以下3名の裁判官忌避を申立てたが、これによって少なくとも1年裁判は延びた。二つめは、公判開廷の日数間隔があきすぎていたこと。8年4ヶ月の期間に56回しか開かれていず(内2回は延期しているから実質54回)、年平均6・5回、約2ヶ月に一度の割でしか開廷されてこなかった。勿論、場合によっては弁護士先生方の都合もあっての事だが、それにしても全体として間隔があきすぎており、もっと密に、少なくとも月1回のペースを守って開廷していればこんなに長くはならなかっただろうと思う。

  しかし、私がこの裁判長期化の問題を最初に取り上げたのは、その原因についてあれやこれや論じるということよりも、むしろ、その長期化してしまったという厳然たる事実と、それが如何なる役割を果たしているかという問題にふれたかったからである。

  一般的に裁判の長期化は「被告人」とされた者にとって長きにわたる「苦痛」以外の何物でもない。「判決」という裁判の結果が有罪であれ無罪であれ、また如何なる内容の有罪であれ、それと関わり無く、裁判の長期化は、我々の場合は勾留されていないだけ良いとはいえ、必然的に、制限住居付き保釈中という様々な「活動の自由」の制限の長期化を意味している。それは一種の「刑罰」的役割を我々に対して課している。

  自らの行為の結果として「裁判」自身は引き受けねばならないとしても、かような長期化のもたらす「刑罰」的役割は見逃すことのできない事実であり、それをまず指摘しておきたい。

  その点から見ると、先にこの裁判長期化の原因について論じた時、それは事件の政治的性質に基づき、被告人・弁護団側、検察側、裁判所という三者それぞれに責があるように述べたが、実は、根本的に検察官の起訴と、それを無批判的に受け入れる裁判所に原因と責任があることがわかるのである。実際、政治的事件の起訴はその起訴事実を全面的に認めない限り、裁判が長期化するのは必至であり、検察側はそのことを見込んで起訴している。勿論有罪を狙っての事だが、たとえ無罪になったとしても長期にわたって裁判にしばりつけたということで一定程度の目的を果たしているように思えるのである。

  以下、結審を迎えるにあたり、被告人として最後の意見を発表できる機会としての「最終意見陳述」で次の事を述べたい。

  冒頭の「意見陳述」ならびに「被告人質問」では、私は主に京大闘争そのものについて述べてきた。京大闘争全体を提示することが9月時計台闘争の意味を明らかにし、ひいてはその正当性を明らかにするものと考え、そうしてきた。しかし、そこであえてふれないか、簡単にはふれてもまとまった主張としては行わなかった2つの問題があった。それを最後に述べたいと思う。

  1つは、裁判所自体に内在する問題である。裁判官こそ今の我々を担当し「判決」を下そうとしている裁判官と異なるとはいえ、京都地裁としては、我々ならびに我々の闘争に対して既にいくつかの判断を示しているのであり、それらを一つ一つ検討し、批判しておきたいということ。

  2つめは、我々の基本的主張は逮捕―起訴そのものが不当な政治的弾圧だということだが、それをふまえた上で、我々にかけられたいくつかの罪名を一つ一つ具体的に批判しておきたいということ。

  その2つの点を中心に私の「最終意見陳述」を行いたい。京大闘争そのものについては、本当は何回繰り返し述べても良いのであるが、時間的制約もあり、以上の2点を述べるにあたって必要な限りふれると言うことにしたいと思う。

 

2 裁判をふりかえって

    「判決」以前の判決に対する抗議

  まず最初に、裁判所が判決以前に我々に下した判断(それ自体一つ一つ小さな裁判の判決=決定だが)として次の5つの問題をとりあげたい。

   1つは、長期勾留の問題

   2つめは、保釈の問題

   3つめは、統一公判の問題

   4つめは、訴訟指揮の問題

   5つめは、保釈取消の問題

 

(1) 長期勾留の問題について

 我々は約3ヶ月、留置所―京都拘置所に勾留されたが、これは全く不当なものであり、検察官の勾留請求を認め、我々を勾留させ続けていた裁判所に強く抗議しなければならない。

 そもそも法律に定められた勾留の理由というのは、①住居不定 ②罪証隠滅のおそれ ③逃亡のおそれ の3つだが、その中で特に我々の場合に問題になるのは②の罪証隠滅のおそれということであろう。しかし、こんな事が問題とならないのは誰の目から見ても明らかなことである。我々の場合は現行犯逮捕であり、捜査機関はその際多量の証拠を押収しており、我々にとって隠すべき証拠など何もないし、また「事前共謀についての証拠を隠す」「計画性・組織性についての証拠を隠す」といわれる点については、我々は事件の計画性・組織性の点において起訴されたのではないのだから、そのような論理が勾留をつづける理由にならないのは明らかである。

 結局、理由にもならない理由をつけて勾留を続けているその真の理由は、起訴前は取調べのためであり、起訴後は再犯予防という政治的意味と、一種の懲罰的意味をそこにもたせているのである。我々にとってそれは(3ヶ月の勾留は)3ヶ月の「実刑」と同じ意味をもっていた。

(2) 保釈について

 我々は約3ヶ月の勾留後、69年12月30日に保釈で出れたが、その際とった裁判所の措置は極めて不当であるので抗議しておきたい。

 先に述べたように、勾留自体が不当なものであるのだから、本来的にはその勾留を取り消すことによって我々を釈放しなければならない。ところが、裁判所がとった措置は、制限住居付き保釈金40万円という条件付きの保釈という恩恵的なものであったのである。

 しかも、その内容たるや、検察側の保釈すべきでないという準抗告の理由(①罪証隠滅のおそれがある。②証人に害を加えるおそれがある。)を基本的に認めた上でなされた「裁量による保釈」だったのである。そして保釈金についていえば、当初12月25日の決定では30万円だったものが、検察側の準抗告によって40万円につり上がったのであり、この保釈金のつり上げは、保釈を取り消さないかわりに、検察側の顔を立ててなされたものに違いないのである。

 もともと保釈金の額については、刑訴法93条2項に一般的に定めているだけで絶対的な基準はないのであり、このような学生事件で保釈金が高額になったのは、勾留の長期化と同じく68年の10・21以降である。東京地裁でのこの変化に地方の裁判所は右へならえをした。保釈金は本来は公判出頭を確保するためのもの(つまり公判に出廷しないと没収するぞという、いわば人質ならぬ金質)であるが、単なる友人などのカンパだけでは集めきれないその高額化は、その意味を超えて、広い意味での「組織」破壊、被告人の家族へのしばりつけなどを意図したものだろう。

(3) 統一公判の問題

 京都地裁は、当初時計台関係と医学部図書館関係をそれぞれ第1刑事部と第3刑事部に分離して審理させようとしていた。第1回公判はそのようなものとして12月2日に時計台関係のみで開かれたが、そこで我々は統一公判を要求し、第2回公判以降はそれが実現した。

 我々は、この「分離裁判」を強行しようとした京都地裁の姿勢の中に、現在の裁判の真の姿を見るような気がする。というのは、検察側の起訴自体が時計台関係と医学部図書館関係と分けて行われており、時計台関係と医学部図書館関係とは公訴事実も、従って罪名も、全部ではないが異なるのである。それをそのまま裁判所が受け入れたということは、我々のこの裁判で裁判所が何を裁こうとしているかということを明確に示している。すなわち、単に闘争が行われた場が異なる、又は逮捕された時間が異なる、起訴された罪名が異なる、ということをもって分離するということは、単に我々の外形的行為しか見ていないということであり、それを裁こうということである。

 我々の時計台闘争と医学部図書館闘争は一つの闘争である。それは直接的には、京大当局の機動隊を導入しての暴力的な闘争圧殺に抗するものとして一つの闘争であり、又、京大闘争全体に関しても、医学部の闘争を含めて各学部の個別闘争抜きには語れないという意味でも一つの闘争である。従って、統一公判の場でのみ、我々は京大闘争全体の統一した主張を展開することが可能なのである。

 京都地裁は我々の要求をのんで「併合」したが、これは我々の主張を全面的に認めてのものでないことに注意しなければならない。東大闘争での統一公判をしりぞけた論理が我々の場合は通用しないということ、これをしりぞけた場合の社会問題化を恐れての政治的配慮から認めたにすぎないのであり、この問題では、むしろ当初分離して裁こうとしたことに対し強く抗議しなければならない。

(4) 橋本裁判長の訴訟指揮について

 69年12月25日の第2回公判において、当時の橋本裁判長は、警察権力を法廷に導入し、傍聴人を多数暴力的に退廷させた。これは、事前に弁護士が傍聴人に対し、旗、マイクは法廷外に、ヘルメットは法廷内では着用しないように、又、通路にいる人は坐るように説得し、傍聴人もこれを聞き入れ、静かに開廷を待つばかりになっていた時に起こった突然の暴挙であった。この日は最初から警察官が多数、地裁の構内に立ち入っており、法廷への導入も準備されていたものと考えられ、このような橋本裁判長の訴訟指揮は元来公正中立であるべき裁判所としては、きびしく批判されねばならない。

 この時、我々はただちに裁判官忌避申立をしたが、簡易却下→即事抗告→差戻し→忌避申立却下となった。

 その後も、法廷内への導入はなかったものの、しばらくは警察官が構内を徘徊するという状況の中で公判は繰り返された。

 ここで傍聴人制限という問題を考えてみたいと思うが、これは如何なる理由・根拠があってなされるものなのか。裁判公開の原則と矛盾しないのか。おそらく「法廷内の秩序を維持するため」という答えが返ってくるものと思われるが、12・25において、裁判の進行に何の支障もないと思われる時ですら、通路に坐っているという理由だけで退廷させたのは何故か。又維持すべき「法廷の秩序」とは何か。よく、傍聴人の正当なる疑問・抗議を封じたり、ひどい時は被告人・弁護人の発言すら封じたことがあったが、そうまでして守らねばならない「法廷内の秩序」自体が問題である。

(5) 被告人S君に対する保釈取消攻撃について

 73年3月19日、京都地裁は我々被告人の内の一人であるS君に対し、保釈取消、保釈金一部(40万円の内15万円)没収の決定をしたが、その事について抗議したい。

 その時は幸い、抗告申立をし、その結果その決定は取り消されたが、多くの問題を持っていた。

 保釈取消の理由は、制限住居に居住していないということだったが、これは警察―検察側の捜査を裁判所がうのみにしたもので、実際事実に反するものであったし、それ以上に問題なのは、保釈取消請求をした検察官の意図が、保釈後も政治活動を続け、その結果3度にわたり逮捕されていることをふまえて、これ以上活動させないという極めて政治的な、保安処分的なものであり、それを裁判所が一時でも認めたということである。

 これは後に取り消されたとはいえ、その後もS君のみならず保釈中のあらゆる被告人に対して恫喝の効果を持つものであり、絶対に許すことのできないものである。

 以上5点にわたって裁判所に強く抗議したいと思います。

 

3 裁判における我々の主張

(1) 基本的主張

我々のこの裁判は、69年京大闘争の一局面としての9月21-22日にかけての時計台―医学部図書館をそれ自体切り離し、しかもその際とった我々の行為を我々の主張・思想から切り離し(この行為すらも多くのデッチ上げを含むものだが)、それが現行刑法の何条にあてはまるか否かを争っているかに見える。

 その意味で、検察側は我々の闘争を単なる暴力事件として起訴し、裁判所はそのようなものとして我々を裁こうとしているが、これは誤っている。先ほどの検事の論告の中に、「本件に至る闘争の経過」の一項があったが、封鎖という現象的事実を追うだけで、内容的には何もふれていないに等しい。

 第1の切り離しの点に関していえば、これは今まで意見陳述・被告人質問などで述べてきたことだが、69年9月21~22日にかけての我々の闘いは、前日から京大周辺で闘われた京大のみならず全関西の学生ならびに市民の闘いと呼応していたのであり、更に我々が逮捕された後も京大内で多くの教官・職員・学生によって粘り強く闘われた闘いと同質のものである。即ち、京大奥田当局による国家権力=機動隊をもってしての京大闘争の圧殺=「正常化」に抗する闘いである。

 問題は「何が問題の解決」であり、「正常化か」ということである。我々は京大闘争を通して、現在の大学のあり方、教育・研究のあり方を問題にしてきた。その内容は詳しくは意見陳述、被告人質問で述べたことを参照してほしいが、簡単に繰り返せば、1つは資本主義社会、しかも高度に発達した資本主義社会の中での大学のあり方、教育・研究のあり方の問題。もう1つは、国家と大学との関連の問題、又は大学の管理の問題ということができると思う。その2側面について我々はいずれも現状の大学について批判し、その改革を目指すために、過渡的な具体的な要求として寮3項目要求を含む8項目要求をかかげてきた。真の問題は我々が立ち上がり、闘わねばならなかった大学の現状にあり、真の問題の解決とは、その変革にしかありえないのは明白である。従って大学のあり方を改革する契機を内包する8項目要求(それに学部ごとのさまざまな要求を含む)をめぐって論議するのが問題の解決の第一歩であり、その事を放棄して何の解決もありえない。ところが、大学当局は改革の必要性を認識しながら、我々の闘いを押しつぶすことがあたかも「問題の解決」であるかの如く、問題をすりかえている。これが誤りなのは誰の目からみても明らかである。

 我々の時計台―医学部図書館闘争は、そのような当局の欺瞞的「正常化」路線を根本的に批判する闘いであり、その道義性は京大闘争全過程における道義性の上に立ってのものである。従って時計台―医学部図書館闘争と京大闘争全体を切り離して考えることは誤りである。

 次に第2の点、行為と思想を切り離すという問題についてふれたい。

 思想を裁くのではなく、行為を裁くのが民主主義社会の裁判であり、それがそれ以前の社会の裁判より進歩している点だということがしばしば言われるが、はたしてそうであろうか。この社会の裁判は「行為」のみを裁いているのであろうか。

 確かに、お隣韓国の金芝河の裁判記録などを読むと、直接に彼の思想(共産主義か否か)が問題とされており、日本より民主主義的には遅れていることが判然としている。しかし、だからと言って現代日本の裁判が「行為」のみを裁いているとは言えないのではないか。

 1つは、行為と思想を切り離すこと自体が問題である。1つの行為はある思想の表現としてなされるものであり、思想的行為としてそれらは切り離せないものである。特に我々のような(確信犯)の場合、それがはっきりしている。従って、この点からは行為を裁くことは思想をも裁くことに他ならない。

 又、外面的には同じ行為が、問題にされる時と問題にされない時がある。そして、問題にされる時は常に「思想」的に問題になる時である。具体的な例としては、例えば、機動隊の行為は外面的にそれだけをとりだせば非常に問題が多いにもかかわらず、通常「公務」ということでほとんど問題にならない。又昨年京大でなされた竹本処分決定の「裁判」などもそうである。通常の場合は問題にならない行為が思想的・政治的に問題とされ、処分が決定されてしまう。しかし、それは思想的・政治的処分だとは決して公言されることなく、「行為」=無断欠勤が悪いんだということで表面的にはなされる。ブルジョワ社会の裁判の典型である。

 そして最も大事なことは、その行為自身が多くの場合、権力によってデッチ上げられたものに他ならず、警察―検察権力がデッチ上げた行為を司法権力が裁くという形をとっていることである。これは狭山裁判、沖縄の松永裁判などの全面的なデッチ上げ事件の例をあげるまでもなく、我々の場合もそうである。もちろん我々は何もやっていないと言うつもりはないが、傷害・殺人未遂などは後にふれるように全くのデッチ上げであり、特に政治的事件では、このような「行為」そのものの権力によるデッチ上げは、彼らの常套手段である。思想を裁くということが、デッチ上げた行為を裁くという形をとっているのである。

 第一の切り離しと第二の切り離しは同じことである。相互に補強しあい、そしてそのようにして切り離された「行為」を裁くと言う形をとることによって、現在の民主主義社会と呼ばれる社会の裁判の階級性、イデオロギー性が隠蔽されるのだ。従って、「行為」を裁くという形態をとっている事は、別に何ら進歩しているということではなく、思想を政治的・階級的・イデオロギー的に裁く時の隠蔽された形態ということだけなのだ。

 我々のこの裁判における基本的主張は、我々が被告人として裁かれねばならないということ自体が不当だということである。京大闘争における道義性は明らかに大学当局にではなく、我々の側にあるのであり、9月時計台―医学部図書館闘争も然りである。その我々を逮捕し、起訴したこと自体が不当なもので、被告人席に坐らなければならないのは、本当は当時の京大当局―奥田総長であり、暴力的封鎖解除の直接の下手人機動隊である。

 そのような基本的な点を確認した上で、次に我々にかけられた具体的な罪名について一つ一つ批判していきたいと思う。

(2) 不退去罪について

我々の場合でいえば、刑法130条後段に該当するとして、いわゆる不退去罪と呼ばれる罪名で起訴されているのだが、これは我々に科せられた罪名としては不当なものである。

 第一に、我々は「故なく」大学に、そして時計台に入ったのではない。当時の我々にとって、大学とは日常的に出入りする場であり、ストライキ中であれ、占拠中であれ、それは一般的に大学に出入りする理由としての「学問を希求する」ために他ならない。ただ現在の大学での教育・研究のあり方自体が問題であるとして、その改革を求めていたにすぎない。時計台については、予想される警察権力を導入しての闘争圧殺に抗議するために入ったのであり、正当な理由をもって入ったのである。

 第二に、退去命令こそ「故なく」なされた不当なものである。

 そもそも大学という場で退去命令が出せるかどうか問題である。奥田は、学校教育法第58条3項、文部省所管国有財産取扱規程第5条1項2項などをもちだして、その合法性を証明しようとしているが、それらの法律等は直接的に退去命令を規定したものではなく、従って法律論としてもそれらは退去命令を合法化するものではない。

 それ以上に重要なのは、道義的にみて、大学当局が我々に退去命令など出せる立場にないということである。今まで機会あるごとに我々が主張してきたように、大学当局は我々の問題提起を受けて、大学(=教育・研究)の改革の必要性を感じ、対外的にそのポーズを見せるために大検委などをアリバイ的に作りながらも、その実すすめてきたのは改革などではなく、我々の闘争を圧殺することばかりであった。9月の退去命令―機動隊導入もその延長線上にある。

 更に、この時点で退去命令を出さねばならなかった理由の一つとして「封鎖の拡大」=時計台などが占拠されたことをあげ、その後に退去命令―機動隊導入を決定したようなことを奥田は述べているが、これは逆である。時計台の占拠は、予想される機動隊導入をもってしての闘争圧殺=「正常化」に抗議するために行われたのであり、奥田自身も9月の「正常化」はずっと以前から考えていたと証言している。

 又、9月の時点に「正常化」のタイムリミットをおいた理由として、授業時間数不足、単位数不足からくる大量留年の恐れなどをあげているが、これも理由にならない。大学などというところはもっといいかげんなところであり、ほとんど授業なしでも試験又はレポートで単位を与えたこともあるし、単位不足でも留年させず、上にあげたこともあるのである。

 以上のように、退去命令自体が理由のない不当なものであって、それに対して我々が退去しなかったのは当然である。奥田が退去命令、機動隊要請を総長の先決事項として独断でしかなしえなかったことの中に、又機動隊導入をして封鎖解除したものの、その後機動隊常駐体制をしいたにもかかわらず、各学部において「正常化」が当初考えていた9月下旬より大幅に遅れ、学部によっては翌年までもちこすということの中に、学内において機動隊を導入しての力による「正常化」に対する合意がなかったことの証明が含まれているように思う。

(3) 凶器準備集合罪について

凶器準備集合罪が作られたのは比較的新しい。昭和33年に当時、政府は暴力団による暴力犯罪を取り締まるために必要であるとして、刑法や刑事訴訟法を改めたが、凶器準備集合罪はその時に新設されたのである。当時でもこの法律にはいろいろ問題があることが指摘され、批判された。例えば、「凶器」の概念が不明確であるとか、本罪が政治運動・労働運動などの弾圧に濫用される危険性があるとか、の点である。

 そしてその指摘はその後の経過をみれば当たっていたことがはっきりしている。

暴力団の暴力取締りのため、という名目で立法化されたものが、39年の早稲田闘争に適用されたのをはじめとして、以後40年代になると、次々と学生運動・政治運動の弾圧の具として使われていくのである。

 我々の場合も然りである。

 第一に、我々は火炎ビンを使用したのは認めるが、これは起訴状に書いてあるが如く、又、先ほど論告の中で述べられた如く、「警察官らの生命・身体に対して共同して害を加える目的をもって」使用したのではない。大学当局の退去命令とそれに基づく機動隊の封鎖解除を不当なものとし、それに抗議するためにそれを使用したのであり、いわば彼らに封鎖解除をさせないーバリケードに近づけさせない事を目的としたのである。

 第二に、起訴状が「凶器」としてあげているものは、いわゆる「用法上の凶器」(この概念自体に問題はあるが、その点はさておいても)だと思われるが、その中には、あったかどうかも疑わしいもの、又はあったが我々が実際に使用していないものを含んでいる。例えば、コンクリート塊はロッカー内につめるものとして用意され、その残りが塔内にあったにすぎず、我々はそれを投げていないし、又、投げられるようなものではない。又、鉄パイプは小屋内の窓を開けるのに使用しただけであるし、劇薬といわれるものも、いちいち確認していない。検察官はそれらが全て「警察官に害を加える目的をもって」準備されたもののようにデッチ上げている。

 凶器準備集合罪が真に適用されねばならないのは警察―機動隊である。彼らこそ、封鎖解除と我々を逮捕するというそれ自体不当な任務を超えて、我々の肉体に害を加える目的でとしかいいようのない催涙弾、それを打つガス銃、小屋に打ち込まれた鉄の固まり、放水などを準備し、それらを使用したのである。

(4) 公務執行妨害罪について

「バリケードの撤去」「被告人らの検挙」「これに対する妨害排除」を職務の内容とする機動隊員に対し、暴行を加え、職務の執行を妨害したということで、公務執行妨害罪が我々に科せられているが、これも不当なものである。

 まず「公務」ということ自体が問題である。「公」と「私」の分裂しているこのブルジョワ社会では、「公」は真の公を代表していない。一部の「私」の利害を代表しているにすぎない。特に、「権力的公務」についてそうである。

 次に、「公務」ということをよしんば一定認めたとしても、その執行が適当であったかについては問題がある。

 一つは、総長の退去命令に基づいての「封鎖解除」が公務執行の主な内容だが、その基になっている退去命令自体が問題であること。この退去命令の問題性については先に述べた。

 二つめは、放水・催涙弾(実は毒ガス弾)その他を用いての暴力的なその執行形態の問題である。1つの例として、職員が素手でバリケード解除に来たのなら、我々は機動隊に対してとったような抵抗手段をとることはなかっただろう。

 以上のように、公務もしくはその執行といわれる機動隊の行為自体に問題があり、それに対して抵抗した我々の行為を「公務執行妨害罪」とするのは当たらない。

 ここで催涙ガスについて若干ふれると、先に検事が論告で「警察の催涙ガスの使用について」という一項を設けてまで、それが違法でないことを強調していたが、これはウソの事実の上にきずきあげられた誤った結論である。

① 催涙ガスとは、催涙効果と発射音による威嚇効果などというものにとどまらず、まず第一に科学的に明らかになっていることとして、皮膚ビラン効果をもつものであり、その意味では催涙ガスという呼び名自身が、その実を表現していないものである。(田代証言参照)

② 又、検事の論告の中ではふれていないが、催涙ガスはガス弾として銃で発射される限りにおいて、至近距離においてそれがなされるなら、人を殺す力を持つものである。(三里塚における東山君の例など)

③ 又、その銃は、銃身、台じりなどを用いることによっても凶器に一変するものである。

以上の意味で、催涙ガス・ガス弾・ガス銃を含めて、その警察官による使用は、いみじくも検察官が「鉄砲でも使用できるんだ」という意味ならいざしらず、通常の場合は絶対許されるべきものではない。

(5) 傷害罪・殺人未遂罪について

公務とも呼べない警察官の不当な「公務執行」に対して暴行を加え、それを妨害したとして、公務執行妨害罪の他に、その暴行の結果警察官が負傷したとして傷害罪と殺人未遂罪が我々についている。これらは当時の学生運動の中でも例をみないもので、この京都地検による意図的なデッチ上げに強く抗議しなければならない。

 以下、警備指揮者、負傷したという警官の法廷での証言を見ながら、傷害罪・殺人未遂罪が如何に不当であるかを明らかにしよう。

 第一に、警官の負傷を分類すると、①炎症と②その他になり、前者は火炎ビンによるものと薬品によるものに分けることができるが、

① 炎症については、火炎ビンによるものだったら、髪の毛、衣服などが焼けているはずなのに、その点に関する証言が一切なく、むしろ服は焼けていなかったと言っていること。薬品によるもの、特に強い酸類によるものだったら、これも衣服がボロボロになるはずなのに、その点に関する証言がないこと。

以上のことから、火傷もしくは急性皮膚炎を負ったとする警官は、例えそれが真実だとしても、その原因は、火炎ビンや薬品によるというよりも、塔内で21日だけでも200発あまり打ったという催涙ガスによるものの疑いが強い。催涙ガスが強い炎症を起こすことについては、私自身の経験からも、また田代証人の実験を基にした証言などからも科学的に明らかであり、その特徴は、髪の毛などには異常がなく、皮膚に直接炎症が起こるのである。

② 炎症以外の負傷については、例えば高橋警官については、封鎖解除中にロッカーから足をふみはずして負傷したことになっているが、仮にそれが真実だとしても、それが我々が投げた火炎ビンをよけようとしての事だという証拠は何もない。

 以上の点をふまえた上で、

 第二に、いずれも負傷程度が極めて軽いにもかかわらず「火だるまになった」(火だるまになった人が、やけどとしては一番軽い一週間程度の加療(1度のやけど)ですむわけがないし、髪の毛、衣服が焼けていないわけがないー注①)などと当時の状況をオーバーに表現している。又、検事は目的意識的に「その時どのような感じをもったか」と質問し、「死ぬかもしれないと思った」という答えを引き出している。客観的に見ればそんな可能性などなかったのは明らかだし、これは明白に、我々を殺人未遂罪に陥れるためのデッチ上げである。-注②

 第三に、秋保、西田、弥頭、松永などの警官の負傷状況に関する証言は、極めてあいまいで、信用性のないものである。8段目の階段の上の踊り場(ここから下へ我々は火炎ビンを投げたとされている場所だが)の上の階段には、ロッカーによるバリケードなどほとんどないにもかかわらず、その撤去作業中に負傷したとしている。警官の証言通りだとしたら、我々はどのようにして踊り場で動き、又踊り場と塔屋上の小屋との間を往復していたというのであろうか。又、この負傷したときの火炎ビンがどこから飛んできたのか、極めてあいまいである。それも当たり前で、9段目の階段に向かって火炎ビンを投げるなどというのは不可能で、そんな場所などないからである。

 以上のように、傷害罪については、警官の炎症や怪我が真実だとしても、それが我々の行為のもたらしたものだとはとうてい言えないので、これは不当であるし、殺人未遂罪に至っては全くのデッチ上げである。

 

  •  注① これは後に、医学部出身の人が詳しくふれてくれると思うが、やけどで1度というのは最も軽いもので、皮膚が赤くなった程度のものだそうで、水泡ができたら2度になるそうである。「火だるまになった」人がその程度ですむわけがない。
  • これは先にふれたように、催涙ガスによるものと考えられるが、我々なんかより、機動隊員のほうが炎症がずっと軽くすんでいるのは、常時水で洗い流していたからであろう。
  •  注② 検察官の論告の中の「被告人らの殺意の認定について」の所で、検察官が「殺意の認定」の証拠としているのは、1つは、この「死ぬかもしれないと思った」に始まるいくつかの警官の証言。もう1つは、被告人の「火炎ビンがこれに当たれば重傷を負わせたり、又死んだりするのではないかと言う様に恐れておりました」という供述である。
     前者は、検察官が目的意識的に引き出したもので、塔内状況が外から見えないのをいいことに、警察―検察が共同して我々を殺人未遂罪に陥れるために作り出した塔内状況に関するデッチ上げ証言であるし、後者は本人が被告人質問の際に述べたように、そもそも塔内状況を語ったものではなく、「塔外からハシゴをかけて登って来たり、クレーン車のようなもので来た場合、困る」という想像上の状況設定の話しだったのである。検事の巧みな操作によって、この被告人の発言が、「これが命中すれば相手を死亡させることがあることを認識しながらあえてこれを投下した」とされてしまったのである。被告人の供述調書とされるものが、そのように被告人の本来の意思と離れて、検事の作り出したものに変わってしまっているわけで、こんなことは、警察官や検事の取調べー供述調書を取られるのを経験した人なら、誰でも覚えがあろうと思う。その意味で、被告人の供述調書そのものもデッチ上げなのである。

 

4 最後に

  考えてみれば、裁判とは変なものである。

  人間が同じ人間を裁くわけだから、その前提として裁く人間、つまり裁判官は絶対誤りを犯すことのない人間でなければならないわけだが、そんな人間などいるだろうか。しかも、質的に全く異なる泥棒とか、交通違反とか、政治的事件などを同一の物量的刑に還元して判決を下す。そして例え間違った判決を下し、その人間が死刑になった後に無実であることがわかっても、その判決を下した裁判官の犯罪性は問われることがない。又、その人を起訴した検察官の犯罪性についても問われることはない。

  こんなことがどうして可能なのか、考えれば考えるほど分らなくなるので、これ以上ふれないが、我々の関わった闘争を、この裁判官が何故裁くことが出来るかは、考えてみれば不思議である。この裁判官が倫理的に我々より優れているからなのか、物事の判断力が我々より優れているからなのか、総じて人間的に優れているからなのか、そんなことはわからない。元々、この裁判官に裁きをゆだねたのは我々ではないのだ。

 

  京大闘争が9月の時計台闘争も含めて絶対的に誤りのない闘争であったとは私は思っていない。数多くの誤り、不十分な点を持っていたし、そのことはいずれ明らかにしていかねばならないだろう。(その意味で京大闘争が裁かれるとしたら我々は喜んで裁きを受けよう。但し、裁く主体は現在の裁判官ではありえない。我々が共に生きることを目指した、現在的には何の権力ももたない一個の良心的な働く労働者、そして、この社会の中で虐げられ差別されている多くの人たち、彼らによる裁きなら喜んで受けるだろう。)しかし、そのような闘争の中での誤りはこの裁判で明らかにすべき事ではない。基本的な大学当局との関係、政府―文部省との関係においては明らかに我々は正しかったし、この裁判ではその事を述べれば充分だ。

 

  我々の闘争においては逮捕され、起訴され、裁判の場で我々が被告人になっているという点において、既に我々はある意味では敗北している。客観的にみれば有罪は確定していて問題は量刑がどの程度になるか、ということだけかもしれない。

  しかし、私はやはりここで最後に主張しておきたいのは我々は無罪だということである。

  私の今までの全主張はそこに帰結する。

  京大当局との関連でいえば、京大闘争の全過程を通して、どの時点をとってみても、基本的に正しかったのは我々の側であるし、又、9月の解除の際も犯罪性が問われねばならないのは、機動隊であり、それを要請した京大当局である。

 

  裁判所が真に中立・公正であるなどと私は思わない。先に述べた、我々に対して示した「判決」以前の判断の一つ一つをとってみても、経験的にそう思うし、狭山裁判をはじめ、あまりにも多くの裁判の判決が「中立・公正」という幻想を打ち破ってくれたと私は思う。むしろ、私が裁判所に望むのは、裁判官が自らの地位も役割も巨大な国家権力を背景としてはじめて成り立っているのであり、自らも権力そのものだという自覚をもって判決を下してほしいということである。これは逆説でも何でもなく、実際我々の運命を決定する力を、あなたがた裁判官は持っているのだから・・・。

  具体的に言えば、裁判所は我々の行動に対する判断をする前に、まず退去命令に基づく封鎖解除という公務執行そのものに対して判断を示さなければならない。それも通り一遍のものではなく、京大闘争の9月の時点にそくして具体的に。なぜならば、我々のとった行動全てが、それに対抗するものであったのだから。そしてそのためには京大闘争そのものに対する評価を下さなければならない。

 

  我々は、我々に対する「判決」は京大闘争そのものに対する「判決」だと思います。従って、単にここにいる被告人は9名だけど、傍聴席にいる我々を支援してくれる多くの友人、家族、そしてこの場にはいないけれども京大闘争に関わった全ての人たちに対して「判決」を下すのだということを裁判官は自覚してほしいということを最後に述べて、私の「最終意見陳述」を終りたいと思います。

                                   

以上

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