④冤罪甲山事件ー「捜査一課長」を告発する

 「旬刊民報」の1983年11月5日、11月15日、11月25日の3回に渡って連載されたもので、当時甲山事件救援会の事務局にいた私が書いたものです。

 弁護士になってからは、清水一行等を被告として、損害賠償請求訴訟を起し、勝訴しました。


1. 今なぜ文庫本刊行なのか

 

 9月17日甲山事件救援会は集英社に対し、15項目にわたる公開質問状を内容証明郵便にて送付した。7月に刊行された文庫本清水一行著「捜査一課長」に対する抗議の目的をもってである。

 もともとこの「捜査一課長」は単行本として最初に発行された時から、さまざまな問題点が指摘され、批判されてきた。

 その点を整理すれば、次のようになろう。

 本来捜査の秘密として部外秘のものが、清水一行の手に渡ったこと

 その捜査資料にのみ基づいて、山田さん(=作品中では田辺悌子)を黒とする、捜査側の一方的見方を小説化し、

 再逮捕の直前に発行することによって、再逮捕を合理化する世論作りの役割を果たしたこと

 等である。そして内容的には②を裏づけるものとして、山田さんのアリバイに関連する一連の電話が書かれていないことが指摘されていた。

 これらの批判は再逮捕-起訴後刑事裁判としても5年を超える時間が経過した現在、裁判の中でのさまざまなやりとり、証拠調べの過程で明らかになった点をふまえて、より新たな内容をもって語られなければないだろう。

 かつて、「捜査一課長」ほど、悪質で、デッチ上げられた者の名誉と人権を踏みにじった例を私たちは知らない。今後、このようなことを二度と許さないためにも、この間の経過と問題の本質を明らかにし、広く伝えることが重要だと考える。

 

2. 甲山事件とは何か -経過と現段階-

 

 まず最初に甲山事件そのものを御存知ない方のために、また、後に述べる点とも関連するので、事件の概略についてふれておこう。

 甲山事件は、1974年3月、兵庫県西宮市にある精神薄弱児施設・甲山学園で起きた2人の園児の死亡事件に端を発する。連続して行方不明になった2人が園内の浄化槽で遺体で発見された。警察はこの事件を殺人事件-内部の者の犯行とし、約半月後に学園の保母、山田悦子さん(旧姓沢崎)を逮捕する。

 事件はその後、処分保留での釈放-不起訴という経過をたどる。もともと証拠があっての逮捕ではないから、当然の結果である。この間に、山田さんの側では不当逮捕を糾して、国家賠償請求訴訟を提訴している。

 ところが、不起訴処分をもって刑事事件としては一旦終息したかにみえたこの事件は1978年2月の山田さん再逮捕、国賠で山田さんのアリバイを証言した甲山学園元園長、同僚の偽証罪逮捕によって一転する。国賠は中断され、3名が起訴されることによって舞台は刑事裁判に移されるのである。

 この異例の経過が示すのはいかに山田さんを黒とする証拠がないかということであり(釈放-不起訴が示す)、にもかかわらず、警察・検察が山田さんを犯人とするために、いかに強引な捜査をおしすずめてきたか(第1次逮捕、第2次逮捕、起訴が示す)ということである。

 そして、この2点は、78年6月から始まった刑事裁判の過程で明らかになっていった。

 約月1回のペースで進められてきた公判はこの10月18日で43回を数える。この5年間での審理の争点は、手続的には証拠開示、公訴棄却であり、実体的には、検察の主張する2大証拠(山田さんが被害園児を連れ出すのを見たという目撃証言を中心とする元園児5名の証言、犯行時に付着したという山田さんと被害園児の衣服の繊維の相互付着)をめぐってであった。

 2大証拠の取調べでは、検察の主張と裏腹に、証人の口から反対事実が出てきたり、検察の意に沿った証言をした人も、その根拠の薄弱さが露呈され、到底信用するに値しないものであることが明らかとなっていった。そして、その過程で、検察の抵抗にもかかわらず、次々と開示されていった証拠によって、警察-検察の捜査の不正とデッチ上げが暴かれていった。

 今や、誰の眼からみても山田さんの無実は明白なものとなった。裁判官すら「何で山田さんが犯人とされているのかわからない」として、山田さんが犯人としてしぼられる過程、逮捕、起訴されるまでの過程、つまり捜査の全過程を冒頭陳述書を補充する形で明らかにするように検察に求める始末である。

 これが、裁判の現段階である。

 検察は、裁判引き延ばしのため、多数の関連性の薄い証人を申請しているが、裁判所は重要な証人しか採用せず、早期結審の構えすら見せている。

 

3. 「捜査一課長」と事件経過 

 

 「捜査一課長」の内容にふれる前に、その発行時期が、以上述べた甲山事件の経過と微妙にからみあっている点に注意を促したい。

 この小説は、今まで3度発行されている。初版の発行年月日順に、出版社、体裁を合わせて示せば次の通りである。

 (イ)1978・2・25・集英社・単行本

 (ロ)1979・5・ 1・祥伝社・新書判

 (ハ)1983・7・25・集英社・文庫判

(イ)が再逮捕(78・2・27)の直前であったことは既にふれたが、それのみにとどまらず、

(ロ)が刑事裁判の実質審理(=証人調べ)の開始時期(79・5・8)の直前にあたり、 

(ハ)が先に述べた二大証拠の取調べの終了時期(83・8)の直前、ちょうど9月以降何を調べるか、検察・弁護側双方の意見が対立していた時期にあたるのである。

 これらは偶然の一致であろうか。偶然とするには余りにも出来すぎていると感じるのは私だけではないだろう。少なくとも(イ)については時期を合わせたと思われ(この点については後に述べる)、背後である力が動いていたのではないかと思われるのである。(このままいけば、結審、判決前には「捜査一課長」のテレビドラマ化、映画化でもされかねない。その可能性は大いにある)。

 この点で、(事件経過の中で)もう一つ想起しなければならないのは、神戸検察審査会の不起訴不当決議である。これは75年の秋に不起訴処分が出てから、死亡園児の遺族の申立てにより、審査が開始され、約1年後の76年の10月に議決が出され、これが神戸地検の検事正に送られ、検察が再捜査に入っていくという経過につながっていくのだが、この時も表面的には、動いたのは遺族であり、中立機関の検審(構成メンバーは選挙人名簿より無作為に抽出)でありながら、裏で動いたのは、遺族の代理人となっていた元検事で弁護士の古川某であり、この人物は、検審にも証人として出て、山田犯人説をぶった。結局1年かけた検審の審査では、山田さんをはじめとし、山田さんを支援する側の人間は一人も呼ばれることなく、捜査官などが証言したのみで、決議をあげた。このような審査経過からすれば、結論が「不起訴不当」だったのも当然のことと言えよう。

 この場合も不起訴から再捜査に転換するバネとして、検審の不起訴不当決議が利用されているのである。

 不起訴から(再捜査をへて)再逮捕 - 起訴へ大転換していく時、「捜査一課長」が登場してくるのに類似していないか。

 つまり、警察・検察がある方針を貫徹しようとする時、自らの活動の内に合理性、一貫性をもっていない場合、外に働きかけ、外から働きかけさせる形で合理化するのである。

 その意味では、甲山事件の経過の中で、検審決議と「捜査一課長」は一つのつながりを持ち、甲山事件の特徴をなしていると言えるのである。

 

4. 集英社との直接交渉

 

 1ヶ月の検討期間を置いた「公開質問状」に対する集英社からの「回答」は、10月19日甲山事件救援会事務局に到着した。文書形式のために、証拠として残ることを警戒してのことであろうか、我々の質問には直接ふれず、集英社側の見解を総論的に示したものであった。

 それは、一定我々の予想したところのものであった。文書による回答がたとえ来たとしても、それは我々を決して満足させるものではないだろうと考えていたからである。

 であるが故に、次は直接交渉しかないと考えていた。そしてそれは10月21日東京飯田橋の集英社ビルにて実現した。

 救援会側から5名、集英社側から文庫編集長、副編集長、編集管理・係長の3名の出席の下に行なわれたこの交渉は、午後1時半から約3時間近く続いた。

そしてその結果、集英社側がさまざまな点で認識不足であったことを認め、文庫本「捜査一課長」の増刷をとりあえず停止し、救援会からの3つの要求(①謝罪②文庫の絶版・回収③救援会の本の集英社からの出版)に対し次回交渉(11月下旬)まで検討し、回答することになった。

 

交渉の場で何が問題となったか。救援会側が強調し、集英社側が認識不足であることを認めた点とは一体何だったのか。争点にしぼって以下明らかにしよう。

 

5.フィクションだからこそ問題

 

本来なら「捜査一課長」の批判を始める前に、この小説を読んでいない方のために、あらすじを紹介するのが、本来の順序だろう。しかし、この本の場合、純粋にあらすじだけを抽出して行を埋めるのには、あまりに腹立たしいし、第一もったいない感がする。というのは、この小説は基本的舞台設定こそ、西宮→横浜、精神薄弱児施設・甲山学園→心身障害児施設・光明療園、保母山田悦子→保母田辺悌子等と変えてあるものの事件展開、事件内容は甲山事件そのままであるからである(ただし、第1次逮捕の釈放前までしか描いていない。)

 その意味で、これは「フィクションである」と断ってあるものの、中味は「ノンフィクション」である。

 しかし、問題は、著者・出版社の「フィクション」という主張に対し、こちら側が「ノンフィクション」を対置すればそれですむという単純な問題ではない。一見矛盾するかのように見えるが、同時に「フィクション」であることを認め、現実の事件と比較しつつ、どのような部分がフィクション化されてるかを具体的に指摘することによって、この小説の犯罪性を明らかにすべきなのである。

 そのような観点に立てば、出版社側の「フィクションだから」という主張は、「だからこそ問題なのだ」という形で、新たに批判されることになろう。

 具体的に述べよう。

 清水一行は甲山事件を捜査側の視点に立って取材し、捜査資料を入手して、この小説を書いた。甲山事件を素材としつつ、これを「フィクション」としたのには、およそ2つの理由があろう(彼がノンフィクション作家ではなく、小説家である点は別として)。

 1つは、後に問題になった時に「フィクションだから」とのがれられる道を作っておこうということであり、もう1つは、「フィクション」とすることによってしか、山田さん(=田辺)をあやしいとすることはできなかった、ということである。

 後者の問題は小説中随所にあらわれている。

 1つは、山田さん(=田辺)の性格、人格にかかわる部分で、その描写の仕方、捉え方だが、小説中では、男女関係にふしだらで、捜査官の前では不貞腐れるしたたかな女、いかにも犯罪を犯しそうな女性として描かれている。このこと自体、たとえ事実だとしてもあやしいということには本来的には結びつかないはずだが、その点をふまえた上で山田さんの実像とは異なることを指摘しておきたい。

 2つめは、事実関係にかかわる事柄である。警察・検察が重視し、裁判でも争点となったような重要証拠については、全て事実を歪めて書いてある。例えば、

 ① ミカンについて 

 当日学園では出ておらず、田辺保母が学園に持ちこんだことを隠していて、捜査官の地道な捜査によって、買った店をつきとめたことに小説中ではなっている。しかし、事実は、当日学園でミカンは出ており、かつ山田さんはミカンを持ちこんだことは当初から認めている。警察・検察は、被害園児の胃の中からみつかったミカンが、学園で当日出たものではなく、山田さんが持ちこんだものであるということを立証しようとしたが、結局結びつけることはできず、今では立証を放棄してしまっている。

 ② 園児の目撃証言について

 被害園児が遊んでいたという部屋の女の子(あかねちゃん=Aさん)、そこへ呼びにいったという被害園児と同室の年長の男の子(大森君=D君)に、当日の夜、当直の保母、指導員が尋ねたところ「大森君が迎えにきたけど、一緒に行かなかった」「女子棟の部屋で遊んでいる」と各答えたことになっているが、これも事実に反する。この2人の供述は後に調書になってその任意性、信用性が争われることになるが、当日の夜について言えば、証拠上はAさんは寝ており(従って尋ねても答えなし)、D君は尋ねられて「知らん」と答えている。事件直後にどのようなことを言っていたかは、信用性判断にあたって最も重要なことであり、それを変えることは許されることではない。

 ③ 繊維鑑定について

 小説中では、日本で1つしかない80万倍のコンピューター連動の超高性能電子顕微鏡を用いて、「合致に極めて近い酷似」との結果が得られたことになっているが、実際にはそんな機械を用いた鑑定は存在しない。あるのは、言葉としては「類似」とか「酷似」とか使っているが、せいぜい400~500倍のどこにでもある光学顕微鏡を用いた、いいかげんな鑑定で、それも証拠調べの過程で、証明力が否定されてしまっている。また、警察・検察にとって都合の悪い鑑定も存在し、それを彼らは隠しつづけてきたことも明らかになっている。

 このようなことは他にいくつも指摘することができるのだが、この位にとどめておこう。ここで重要なのは清水一行は捜査資料を入手しているから、全て実際にはどうであったかを充分承知した上で、意図的に変えているということである。理由は言うまでもないだろう。小説中の田辺悌子(=山田さん)を黒とするためであり、そのためには捜査資料そのままでは不充分であることを知り、重要なところで変えたのである。

 

 以上の意味で「捜査一課長」は明らかに「フィクション」であり、その「フィクション」の部分に最大の問題があるのである。

 読者からすれば、「フィクション」と断ってあるものの「現実に起きた事件にヒントを得た」と書いてあり、内容があまりにも甲山事件に似ている(というよりそっくりそのまま)が故に、そこに書かれていることが(フィクションの部分までも)あたかも真実であるかのごとく、とってしまうのである。この作品がドキュメントタッチであるのも、その事に力を貸す。

 そこに「捜査一課長」のもたらす効果、果す役割があるのである。

 

6. 本の宣伝になった再逮捕の報道

 

 「捜査一課長」がどのような目的・意図で書かれたか、その問題を考える時、考慮しなければならないもう1つのことは、捜査資料が清水一行に流れたという事実である。

 この事実は通常流した捜査官を批判するために指摘されることが多い。例えば、捜査官は捜査上得た秘密については部外者に漏らしてはならない義務があるとして、捜査官にこの義務違反の違法行為があった等の指摘である。

 しかし、この事実は、それのみにとどまらず、同時に資料の受け取り手=書き手の当初からの悪意を証明するものであることを見ておかねばならない。

 その後の追跡調査によって、この流した捜査官の氏名が今では判明している。この人物は捜査の中心人物であり、彼が、後に責任を問われるかもわからないこのような行為をしたことの背景には(個人プレーとして行われたにせよ、もっと上からの指示があったにせよ)流した資料の使われ方について、著者との間に合意があったこと推定させる。常識的に考えても、捜査官が、どんな使われ方をするかわからないで、首をかけて資料を流すはずがないからである。

 この意味で、清水一行は、甲山事件の捜査資料を捜査官から受け取った時には、既にこの「捜査一課長」の構想-山田悦子を黒とすること、これと対比して捜査官の苦悩をヒューマンに描くこと-を決めていたと言って良いのである。

 

 前項で述べたことから「捜査一課長」の最初の発行時期が再逮捕直前であったことも偶然ではなかったということがおわかりいただけるだろう。そしてこのことは次のような事実によっても裏付けられる。 

 清水一行は、この小説の執筆に一年有余の時間をかけている。この執筆期間というのは、まさに、甲山事件の第2次捜査が行われていた時期であり、75年秋の不起訴処分に不満を抱いていた警察と、新しく神戸に赴任した別所汪太郎検事正の指揮の下、76年の神戸検察審査会の不起訴不当の決議を受けて、再捜査に乗り出した検察が、一体となって、山田さんを犯人として起訴するための証拠集めに躍起となっていた時期なのである。

 このことを知らないはずはない清水一行は、自らの執筆している「園児殺害事件」が今まさに再逮捕-起訴に向ってつき進んでいる「生きた事件」であることを充分承知していた上で現実の事件の展開に奉仕する役割を自らに課した。

 そして、78年2月に出版したのである。2月27日に再逮捕が行われるというその日付まで清水一行が知っていたかどうかは疑問である。(一部新聞社は情報を入手していたが)であるが故に発行直後に再逮捕が行われたことについては、「私も驚いた」(雑誌インタビュー)と述べた。しかし、同時に「この本が、今回の再逮捕に役立ったとすればうれしい」(新聞コメント)と述べ、自らの果した役割を認めてしまったのである(注 再逮捕の時期については、むしろこの本の出版により、検察が時期を早めたのではないかと思われるふしもある。)

 このような時期の一致は、再逮捕を合理化、正当化する世論を形成するという意味で、権力にとって都合が良いばかりでなく、清水一行にとっても利益になるということを同時にみておかねばならない。発行直後の再逮捕-起訴という事件の展開により、新聞が連日この事件を書きたてることによって「謎につつまれた園児殺害事件!ドキュメント・タッチで真相を追う」と帯に刷り込んだこの小説の宣伝が、大々的になされたと同じことになったのである。

 清水一行はここまで計算していた。

 

7.作家のモラルについて

 現実の事件を素材とする場合の原則

 

 以上見てきたような問題を考えるならば、もはやこの清水一行という作家の作家としてのモラル云々を改めて問題とするには及ばないようにも思える。清水一行の「捜査一課長」における態度は、モラル以前のこととして、作家の名にも値しないものだからである。

 その意味で、従来清水一行に対して投げかけられていた、権力の手先=売文屋という批判が当てはまることになろう。しかし、このような言葉を、単に言葉として清水一行にいくら浴びせたところで、清水一行は痛くも痒くもないだろう。

 したがって、以下「捜査一課長」問題を広く討論に付す意味でも、(多少形式的議論になるが)現実の事件を素材として物を書く場合の基本的原則について、作家の最低限のモラルという観点から「捜査一課長」批判をまとめてみたい。

 (1)ある事件で、当事者の主張が対立する場合、取材は可能な限り双方からなされねばならない。事

前に視点としていかようなものを持とうと、また双方に取材した結果、いかなる感想を持とうと、それは自由だが(後は説得力の問題になる)最低限取材は双方から、そして双方の主張の検討がなされねばならない。「捜査一課長」のように、当初から予断・偏見をもって、一方当事者からの取材しかしないのは誤っている(多くの冤罪事件で、被告の無実を主張する作家は、警察・検察の主張こそ最も検討している。)

 (2)捜査資料の無批判的な採用は問題がある。捜査資料の全てに目を通せる検察官のような立場なら

いざしらず、被告(被疑者)を黒とする資料にしか目を通せない場合は、捜査資料は事実をそのまま映し出したものではなく、捜査官の主張だという観点から充分な検討を加えるべきである。これは、逆に被告の主張でも同じことである(この点でも冤罪を主張する作家は、被告の言い分をそのまま無批判的に受け入れている訳ではない。検察側の主張と対比させつつ、種々の観点から検討を加え、判断している。)

 (3)現実の事件を素材とする限り(特にそれが進行中の生きている事件の場合はなおさら)作品化す

るにあたっては、読者が関連性を思いつかないほど、事実関係を全く変えてフィクションとするか、あるいは事実に立脚してノンフィクションとするかの二つしかない。「捜査一課長」のように、基礎的な事実関係を捜査資料そのままとし、(したがって読者が甲山事件だと容易にわかる)被告の人格を歪めたり、重要な証拠関係を事実と変えて、被告を犯人らしくすることは(ノンフィクションはもちろん)「フィクション」と断っても、許されるものではない(この点が最大の問題であることは、前号で既に述べたところである)。

 

8.29日の次回交渉に注目を

 集英社の出版社としての良識を求む

 

 10月31日、集英社より連絡があり、次回交渉が11月29日午後1時半からと決まった。

 既に述べてきたような問題については、ほとんどが、作者である清水一行の責任の問題であるが、同時に、この本を出版した集英社の認識と見識が問われる問題でもある。

「言論の自由(=出版の自由)といえども個人の人権を侵すものであってはならない」という基本的姿勢を認めた集英社が、救援会が指摘した点をふまえ、いかなる対応(三項目要求に対する回答も含め)をしてくるか興味深い。

今までは「知らなかった」ですんだ問題も、これからはそういう言い逃れはできない。清水一行と運命を共にするか、清水一行と袂を分かって、出版社としての良識を示すか、集英社としても思案のしどころであろう。

 御注目頂きたい。

 

 

 

 

 

 

片見冨士夫法律事務所

〒564-0053

大阪府吹田市江の木町2−32

フレアコート江坂503

TEL :06-6170-1597

FAX :  06-6170-1598

 

地下鉄御堂筋線

江坂駅下車徒歩3分

 

月〜金曜日

午前9時30分~午後5時30分

土・日及び夜間のご相談も可能です。お問合せください。

 

email;f.katami.l.o@gmail.com

 

お気軽にご相談ください