②フォイエルバッハ批判

文学部の卒業論文である。当時、文学部では卒論が必修であり、これを書かない限り卒業できなかった 

私は、哲学科の近世西哲史専攻だったので、冒頭のタイトルの論  文を1972年1月に書き上げ、提出した。

これを審査したのは、指導教官の辻村公一先生(近世・ハイデッ  ガーの研究者)、山田晶先生(中世)、藤沢令夫先生(古代)、  野田又男先生(純哲)である。口頭諮問が学外で行われ、無事審  査を通過し、この年に卒業できた。)                                    


 (Ⅰ)序

 

 マルクス主義の形成過程の中でフォイエルバッハの占める位置に関しては、一般的にはヘーゲルからマルクスへの中間-過渡をなしているといわれる。1)過渡とは、まさに肯定・否定両側面を含んだ不十分なものとしてその性格を示すのである。しかし、その過渡としての性格の鮮明な確定は、多くの研究者によって手がけられながらも、いまだなされていないように思われる。一方における簡単な投げ捨て2)と、他方における過大な評価3)を2つの極として、その間をぶれているように思われる。両者に共通しているのは、フォイエルバッハの積極的側面と否定的側面のどちらか一方をとることによって他方を切り捨てることにあり、一口に言って言葉の正しい意味で、フォイエルバッハの正当な評価に欠けていることである。

 ではフォイエルバッハの正当なる評価とは何か。それは以上述べた事からもわかるように過大に評価する事でも、又切り捨てる事でもない。それは過渡であるが故にもたざるを得ないプラスとマイナスの両側面をふまえてそのもつ位置を確定することである。その作業が<フォイエルバッハ批判>である。いうまでもないことだが、批判とは正当なる評価以外の何物でもない。その内容は本論(Ⅱ:以下)で展開することであり、それを要約的にでもここでスケッチすることは、結論を先に述べることになり、適当でないとは思うが、ここでは本論に入る前に述べておかなければならないいくつかのことについてふれておきたい。

 その1つは、マルクスのフォイエルバッハ克服の過程とヘーゲル克服の過程との関連である。これは<ヘーゲル批判>でなく<フォイエルバッハ批判>を何故私自身において、この論文で取り上げるに至ったかという問に答えることでもある。

 周知のようにマルクスは1844年『経済学・哲学手稿』、『神聖家族』(エンゲルスとの共著)等の著作で、フォイエルバッハへの傾倒を見せつつも、同時にフォイエルバッハからの分岐を開始し、1845年『フォイエルバッハ・テーゼ』、1846年『ドイツイデオロギー』(エンゲルスとの共著)においてその批判を完了した。そしてそのフォイエルバッハを克服する過程は同時にヘーゲルをも克服する過程でもあったのである。マルクスはヘーゲル批判からフォイエルバッハ批判へ単線的に進んだのではない。マルクスにとってヘーゲルはフォイエルバッハよりもはるかに偉大であり、その批判は生涯の仕事であったといってもよい。それに比べてフォイエルバッハは1846年にその批判が完了するや、その後は名前にすらのぼらなくなるのである。4)しかし、このことはフォイエルバッハをヘーゲルからマルクスへの中間として位置せしめるのを妨げるものではないことはいうまでもない。確かにフォイエルバッハにおいてヘーゲル批判は完了したのではなかったが、決定的な一点においてフォイエルバッハはヘーゲルを超えているのであり、マルクスのフォイエルバッハに対する積極的評価はこの点にかかわるものである。具体的には(Ⅱ)においてとり扱わんとするものである。さて以上述べたように、マルクスが自らの理論を確立していく過程は、フォイエルバッハの立場に立ちながらヘーゲルを批判していく過程と、ヘーゲルの立場に依りながら、フォイエルバッハを克服していく過程とが、相互に媒介しあいながら独自のものへ昇華していく過程である。と同時に相互媒介でありながらも、それはやはりヘーゲル批判-摂取が全体を包摂し、その一環としてフォイエルバッハ批判があるという関係でもある。ヘーゲルをドイツ語独特の意味でアウフヘーベンすることは大変な作業である。それは単に観念論だと片ずければすむものではない。マルクスは一時は熱狂的なフォイエルバッハ主義者であった。5) そしてそのフォイエルバッハから分岐を開始するということはヘーゲルをほりおこす過程でもあった。マルクスがたどったこの道は、おそらくヘーゲルを超えていく場合の普遍的な道であろう。フォイエルバッハ的段階とは従ってヘーゲルを克服していく場合に、必然的に経なければならない一段階である。私は<ヘーゲル批判>という遠大な目標に向かっての一歩としてこの<フォイエルバッハ批判>に取り組みたいと思う。

 その2つめは、以上の叙述によっても明らかなように<フォイエルバッハ>を取り扱わんとする私の立場がマルクス主義の立場に立ってのものであるということである。マルクス主義というより正確にはマルクスの立場でのフォイエルバッハ批判である。マルクスには『フォイエルバッハ・テーゼ』と『ドイツイデオロギー』というフォイエルバッハ批判として残された文章があり、従って(Ⅲ)(Ⅳ)はその研究ともなる。しかしここで注意しなくてはならないのは、この2つの文章はフォイエルバッハを清算するために書かれたものであり、いわば彼のフォイエルバッハ克服過程における研究の結果であるということである。我々は単に結果としてあらわれているものを研究するだけでは足りない。過程そのものを追跡する労をおしんではならないのであり、その意味でフォイエルバッハ的残滓が残っているといわれている6)「神聖家族」『経済学・哲学手稿』、とりわけ後者の研究を通して、マルクス、フォイエルバッハ両者の分岐点を明らかにしなければならない。これはマルクス主義形成過程の問題でもある。近年『経・哲手稿』を中心とした初期マルクス研究は盛んであるが、この論文は、<フォイエルバッハ批判>ということを通したそれへの私なりのアプローチでもあるのである。

 3つめは、(Ⅳ)を<マルクス・史的唯物論の形成>とし、又本論文の副題を<史的唯物論確立のために>とした事の意味である。簡単に言えば、フォイエルバッハ批判が真に成立するのは史的唯物論に於いてであろうということである。フォイエルバッハは人間を正しく自然の基礎の上に置いたが、自然の基礎の上で物質的生活を行なうものとはとらええず、再び人間を抽象化してしまった。従って具体的な人間をとらえるとは、人間を単に自然の上に置くのみならず、社会の中で物質的生産を行なうものととらえる必要がある。マルクスが提示した人間とはそのようなものであった。そしてこれは<歴史>を解くことでもある。フォイエルバッハにおける歴史の欠如は決定的である。これだけ言って後の詳しい展開は本文にまかせる。ただこの(Ⅳ)は、これ自身(マルクス・史的唯物論)を述べる事がこの論文全体の目的ではないので、要点的に述べて終らすつもりである。

 

1) 「フォイエルバッハはなんといっても多くの点で、ヘーゲル哲学とわれわれの見解との中間項をなし

  ている。」(エンゲルス「フォイエルバッハ論」序文)

   又、フォイエルバッハについては、彼を自然主義、人間主義の立場におしとどめ唯物論者ではない

  とする考え(一般に観念論者のフォイエルバッハ解釈)もある。

2)   これはマルクス主義の側でもなされることがある。「ヘーゲルに比べるとフォイエルバッハははる

  かに貧弱です。」という1865年1月、ナチョナールデモクラット紙にマルクスが書いた言葉などに基

  くものと思われる。

3)  例えば、フォイエルバッハ選集(法律文化社)「人間論集」の“あとがき”など。若干のニュアンス

  の違いにこだわるようだが、「マルクスへの単なる橋渡しで」はないと居直るよりは、「橋渡し」と

  してのその性格をはっきりさせる方が良いと思う。なお、人間疎外の問題についてのマルクスとフォ

  イエルバッハとのちがいは(Ⅲ)参照。

4) 「1946年10月のエンゲルスのマルクスあての長い手紙以降、彼ら両人の往復手紙の全体から、

  フォイエルバッハという名前が全く消え失せている。」(「フォイエルバッハ論」刊行者序言)

5) 「われわれはみなたちまちフォイエルバッハ主義者となった。マルクスがこの新しい見解をどんなに

  熱狂的に迎えたか、また彼が-あらゆる批判的留保にもかかわらず-どんなにそれに影響されていた

  かは「神聖家族」を読めばわかる。」(「フォイエルバッハ論」)

6) 5)注参照

 

 

(Ⅱ)フォイエルバッハのヘーゲル批判

  (唯物論者としてのフォイエルバッハ)

 

 フォイエルバッハは1804年、バイエルンのランズコートに生れた。この年はカントの死んだ年である。父は刑法学者、兄三人は後に考古学者、数学者、法学者になるという学者一家の中で、彼は1822年にギムナジウム卒業、翌23年にハイデルベルク大学神学科に入学している。そしてそこでヘーゲル主義神学者ダウプや、理性論神学者パウルウの講義を聞いたのち、翌24年にベルリン大学神学科に転学し、待望のヘーゲルの講義を聴いている。この過程の中で彼の熱望は神学から哲学に移るのである。神学はもはや彼の要求、必要を満足させることができず、自然と人間(=全体的人間)を求めて、彼は哲学を学ぶに至る。1)

 フォイエルバッハがヘーゲルに対して懐疑を抱きはじめるのは、前年に美学を除くヘーゲルの講義をすべて聴き終えた1827年頃からである。この当時の彼のヘーゲル哲学に対する疑問は、宗教と哲学との関係、思惟と存在(論理と自然)との関係、哲学と現実との関係などをめぐってのものだったが、ここでは特に第二点めに注目する必要がある。即ち彼は、ヘーゲル哲学において、思惟と存在、論理と自然との関係は如何なるものなのか、前者から後者への移行は根拠づけられているのかどうかを鋭く問題視したのだ。

 もとよりこの疑問を批判として提示し、ヘーゲル哲学にかわる新たなる哲学を礎きあげる能力が当時の彼になかったのはいうまでもない。この当時の疑問はあくまでも疑問にすぎないものであり、従ってこの後の課題は、この疑問をさらにはっきりさせ、これに答えていくことになるのである。これからしばらくヘーゲル哲学の地盤の上に立ってのヘーゲル哲学との格斗が続く。

 学位論文『統一的、普遍的、無限的理性について』から『死と不死についての考察』、『ベイコンよりスピノザにいたる近代哲学史』『ライプニッツ哲学の叙述、発展および批判』『ピエール・ベール』と続く一連の彼の著作は、ヘーゲルの普遍的理性の立場に立ちつつも、それをもう1回個別の立場から捉えなおし、その再統一を追及する過程であったといってよい。この過程の中で、彼は個体の共同を実現する活動の基礎として自然・物質をとらえるに至るのである。こうしてヘーゲル哲学を批判する土台が礎かれ、それからの離脱が決定的になる。

 1839年に彼は『ヘーゲル哲学批判のために』2)を書き、ヘーゲルならびに思弁哲学への最終的決別をなす。その論文を要点的に整理することをもって彼のヘーゲル哲学批判をみてみよう。

 この著作の中でのフォイエルバッハのヘーゲルに対する批判は、まず第1に、ヘーゲルの歴史の見方や取り扱いに対して向けられる。ヘーゲルがすべてを発展過程として把握し、その意味で最後の発展段階を別とすれば、すべては差位によってのみ規定され、たんに過渡的なものと化さざるをえないのに対し、フォイエルバッハは、これでは全ての存在がもつ独立の生命と自由とは圧殺されてしまうと批判し、現実においてまた自然においては、各段階の存在はそれとして横のつながりをもち、空間的な拡がりの中に共存し、全体を形造って生きていると主張する。そしてその批判は、単に歴史の問題だけではなく、宗教、哲学などに関するヘーゲルの見解にも向けられ、共存の中での独自の意義と生命ということが同様に主張されるのである。

 第2に、彼はヘーゲル哲学の絶対性を批判する。ヘーゲル哲学が哲学の理念の絶対的実現であるとする考え方に対し、ヘーゲル哲学も過去の1つの特殊な哲学であることを主張する。特定の個人において全人類が絶対的に体現されるということは不可能であり、にもかかわらずそれを主張するとしたら、それは「神」を意味する。その意味でヘーゲル哲学とは、哲学に於けるキリスト化身論であり、「合理的神秘論」であるとフォイエルバッハは批判する。

 第3に、ヘーゲル論理学の始元である「純粋有」が、単に抽象的で、感性的、現実的存在と矛盾すること、それにもかかわらず、「純粋有」から始めたのは、ヘーゲルが特定の前提に立ち、体系的思惟のみに基いていたからに他ならないこと、従ってヘーゲル倫理学ないし哲学全体は、単にそれ自身においてのみ整合した体系、独りよがりの体系にすぎず、感性的、現実的、個別的な存在から出発する者を納得させ得ない事を明らかにする。

 つづいてフォイエルバッハの批判はヘーゲルの『精神現象学』に及び、感性的確信において考えられる個別的なものは言葉として言い表せない、というヘーゲルの主張に対し感性的な個別的存在の実在性は我々の血で確証された真理であると反論する。こうしてフォイエルバッハは、ヘーゲルの論理学、現象学、そして哲学体系全体が感性的、現実的、個別的存在の捨象、感性的意識との絶対的絶縁から成り立っていることを、その始元の批判的検討によって明らかにしていく。

 もとより彼のヘーゲル批判がこれでつきるものではないが、要点的に示せば、以上のようになるだろう。若きフォイエルバッハの抱いたヘーゲル哲学に対する疑問が、思惟と存在、自然と論理をめぐってのものであったことは既に述べたが、ここでのヘーゲルに対する批判も、その関係が転倒していることに対する批判が根底である。始元として「有」といった抽象的概念のかわりに具体的、現実的存在を置き、そして自然をあらゆるものの本質をかたちづくるものとしてその正当な位置に置き直すのである。

 1841年に『キリスト教の本質』3)を発表し、神の本質は人間の本質の対象化されたものにすぎず、しかもその人間とは物質的自然から生れたものであるとする彼の主張は、宗教非難を通して観念論そのものをも批判し、いまや唯物論ときりはなせないものとなる。

 そして1842年に発表した『哲学改革のための暫定的命題』4)に於ては、その思惟と存在との関係についてより詳しい叙述がみられる。彼はそこで哲学改革の方法として思弁哲学に於ける主語と述語とを転倒させることを主張するのである。つまり、ヘーゲルの思弁哲学では、本来は人間の述語である規定や作用を人間から切断して抽象し、それを主体ないし主語とし、その主体の活動の結果として自然や人間の現実を叙述するという主語、述語の関係の転倒があったから、それをもう一度転倒して本来の関係を回復させるというわけである。この方法は、既に『キリスト教の本質』の中で、宗教批判の方法として用いたものであるが、フォイエルバッハは思弁哲学批判にもこの方法を用いたのである。思惟の存在に対する真実の関係はただ存在は主語であり、思惟は述語である、という関係である事、思惟は存在から出てくるが、存在は思惟から出てこない事を明確に主張するに至る。

 更に『ヘーゲル哲学批判のために』から『キリスト教の本質』を通って『哲学の改革のための暫定的命題』に至る彼の思索の総決算として書かれ、彼の哲学の頂点を示すところの『将来の哲学の根本問題』5)には、ヘーゲル批判の拠点とでもいうべき<現実性>についてのより深い考察が見られる。

 ヘーゲルは、絶対者としての精神の自己運動・自己外化の結果、存在が算出されたとした。そのようにして思惟と存在との対立が止揚され、その同一性が保障されたのである。しかしその場合の存在は、はじめから思惟そのものに対立するものでなく、思惟の内部において思惟に対立するものとして定立されたものにすぎない。つまり思惟された存在、抽象的な存在にすぎない。思惟の中の存在はそれ自身1つの思惟に他ならない。だから、この場合に思惟と存在との対立が止揚され両者の同一性が認められるのは当たりまえのことなのである。そこではただ思惟の自己自身との同一性が表現されているだけだからである。このようにヘーゲルの思弁的立場を批判するフォイエルバッハは、或るものが現実にあるということと、或るものが思惟のなかにあるということとを区別するものとして、現実的存在の現実性を支えているものとして、<感性>をたてるのである。存在は感性の対象としてのみ現実的であることができる

 フォイエルバッハは唯物論者である。彼の認識の土台におく感性にしても、直接的には感官の外部の存在を対象とするものであり、この外部の存在とはヘーゲルの場合のように思惟の内に思惟によって対立せしめられた存在ではなく、感官の対象は思惟によっては生みだすことのできない、現実の物質的存在である。その意味でフォイエルバッハの場合、<感性的>とは<物質的>ということであり、近世哲学が出発点とした思惟する自我のかわりにこの物質を対象とする感性が、あるいはその背後のものとしての物質が、疑いえざるものとしておかれているのである。

 以上、概観的にではあるが、フォイエルバッハの主要著作を年代順に追いながら、ヘーゲル哲学批判(従ってそれは思弁哲学一般の批判ともなる)という視点からみてきた。

 フォイエルバッハはヘーゲルの偉大な遺産としての弁証法を継承することは確かに出来なかったが、以上述べたごとく、哲学の土台に於ける存在と思惟の関係のヘーゲルにおける転倒を指摘し、それを正常な位置に戻したという意味で決定的な役割をはたしたのである。

 しかし、その唯物論への転倒も、単に17~18Cの機械的唯物論6)へと後戻りしたのではないことはいうまでもない。フォイエルバッハがドイツ古典哲学を経ているということの意味は何か。いいかえれば、彼の唯物論を17~18Cの機械的唯物論と区別する点は何か、ということの解明が次章の課題である。

 

注 

1) この経過については、フォイエルバッハ選集(法律文化社)、「哲学論集」の中の「年譜-フォイエ

   ルバッハの生涯および著作」を参考にした。又、若きフォイエルバッハの思想変換については、同

   選集「人間論集」の中の「私の哲学的発展行程の特色づけのための断片」が参考になる。

2) Zur Kritik der Hegelschen Philosophie

3) Das Wesen des Christentums.

4) Vorläufige Thesen zur Reform der Philosophie

5) Grundsätze der Philosophie der Zukunft

     *いずれも邦訳は岩波文庫、フォイエルバッハ選集(法律文化社)など。

6) ラトメリー、ディドロなど。

 

 

(Ⅲ)人間学の提唱-フォイエルバッハの問題意識とその批判

 

 唯物論をもってしてのヘーゲル批判の過程は同時に彼の新たなる哲学の提示の過程であった。

 さて、その彼の新しい哲学は、しばしば従来から唯物論でも観念論でもないものとされてきた。事実フォイエルバッハ自身も、ある所ではそのように述べている。しかし、これは彼の唯物論が従来の唯物論(機械的唯物論)と異なるということを示しているにすぎないだろう。この点の解明が必要なのは、ヘーゲルからマルクスへの過渡としての彼の性格を鮮明にするためである。

 彼は自からの新しい哲学を「人間学」とした。だとするならば、彼を従来の自然科学的=機械的唯物論から区別する点は、この「人間」の把握にかかわってくるはずである。以下フォイエルバッハが「人間」をどのようにとらえたかをみていこう。

 その場合のカギはやはり「感性」である。動物の感性と異なるものとして人間の感性をフォイエルバッハは次のように規定した。すなわち、動物の感性は生理的欲求に直接むすびついた「外部の事象」を対象とするにすぎないけれども、人間の感性ははるかにそれを超えてゆく。人間の感性は、単に外的な事物を対象とするばかりでなく、その対象の中に投射された自分自身をも感ずる。輝く太陽の中に人間はかぎりない生気を感じたり、静かな月の光に魂の沈潜を感じたりする。が、それは輝く太陽の中に自分自身の生気を、月の光の中に自分自身の魂の沈潜を見出すのであって、単なる天体なる太陽にそのような感情があるわけではない。外的な対象の中に人間は自分自身の内面あるいは本質をみるのであって、ここに人間の感性が動物のそれとはっきりと区別されるというのである。1)フォイエルバッハが人間の本質をこのように、自己自身を対象化するという事に求めたこと、これにまず注目しなければならない。

 次に人間の本質を単に孤立した個人の中にではなく、共同体の中に求めたという事である。2)我と汝、しかもその汝とは観念論のように自己意識によって生み出されたものではなく、現実の具体的な汝である。その両者の統一の中に包摂されているものとして人間の本質をみたのである。人間とは類的、共同的存在である。このようにフォイエルバッハは規定した。

 とりあえず、フォイエルバッハの人間把握において以上の2点に注意しておこう。もちろんこのような人間を自然の基礎の上に置いて考えたことはいうまでもない。

 マルクスのフォイエルバッハ接取-批判も実はこの点が核心である。マルクスも人間存在の対象的、類的規定をうけつぐ。ただし、フォイエルバッハそのままではなく、より発展的に……。ここでも問題はやはり、「感性」である。初期マルクスにおいて既にフォイエルバッハを超えるものがあるとすれば、この「感性」の把握において、相違が見られなければならない。

 ではその相違点はどこにあるだろうか。

 フォイエルバッハは人間の感性と動物の感性を区別した。対象の中に自己自身をみるという対象化という性質を人間の本質とした。しかし、人間はいかにして動物的感性の中に自己を対象とするような人間的感性を生みだしてくるのだろうか。フォイエルバッハはこの問いに答えることができなかった。彼はただこの人間の本質を直感的に表現したにとどまったのである。

 この「いかにして」を解くことは歴史を解くことである。マルクスはこれを課題とした。マルクスは、単なる物質的自然あるいは単なる外的事物としての容体に人間的本質を直観するのではなく、人間化された自然を対象として人間的な感覚もまた生じることを主張したのである。人間的感性の本質をこの自然の歴史と人間の歴史との具体的統一の中に求めたのである。3)

 「人間」と「自然」に関して言えば、次のようにいえよう。フォイエルバッハの定立した「自然の基礎の上に立つ現実の人間」はその自然と対立もしなければ適応矛盾にも陥らないでいる人間である。従ってその基礎たる「自然」と永遠の昔から調和している人間である。人間と自然とはこのように直接的にかつ無媒介的にあるような区別なき同一性にあり、その意味で直接にあるがままでのような「人間」に他ならぬのである。従ってその人間のもつ感性、対象性はその基礎としての自然もまたそうであったように、直接に永遠の昔から与えられたつねに自己同一的な感性であり、対象性であるのであって人間化された自然を媒介として歴史的に生成されてきたところの感性、対象性であるのではない。これがフォイエルバッハの感性のマイナス面である。

 又、これと関連して彼の見解の特徴をなすのは、対象(自然)によって否定(主体一人間が)される側面を見ずに、肯定面だけを見ているということである。これではそもそも人間が生きていくために何故に生産的活動をしなければならないのかが理解できないし、又、人間化された自然(その対象的定有が産業)によって否定(=疎外)される側面も見ることが出来ないから、産業ならびに社会編成の変革を目指す政治的活動も理解できえない事になる。第2の点は第1の点に帰着し、結局は人間を物質的生産のなかでとらえられなかったという事が根幹である。

 実際には人間はフォイエルバッハが安易に考えたように、自然と決して「調和」せずにそれと対立している、あるいは自然が人間に対して適応的に存在しないが故に、人間はその対立を適応矛盾にまで高め、ついにその矛盾を止揚するにいたる。つまり自然を変革すると同時に自己を変革するに至るのである。

 くり返しになるが以上によって明らかになったフォイエルバッハの批判されるべき点を要約しよう。

 ① 感性を人間化された自然を媒介として歴史的に生成されてきたものであることを見抜けなかった 

   点。同じことだが、

 ② フォイエルバッハは自然の上に安らぐ人間だけを描いたのであり、自然に否定される側面(生産的

   実践の必然性)、人間化された自然から否定される側面(疎外-政治的実践の必然性)を見抜けな

   かった点。

 一言で言って歴史(実践)の欠如ということになろう。これがフォイエルバッハ批判の核心である。

 疎外ということにしても確かにフォイエルバッハは宗教批判を展開する中で、神とは人間の本質が疎外されたものに他ならないことを明らかにした。しかし何故人間は自からの本質を神として疎外するのかということになると、対象化という人間の本質に求めるだけで、そこに批判はない。又は、そこで問題になっているのは意識だけで、従って疎外からの回復も、ただそういうことを認識しさえすればよいことになる。これでは宗教批判さえ不徹底といわざるをえない。マルクスは、人間の自己疎外としての宗教の背後に、人間社会における現実の人間の疎外を見、この疎外されたものを真実の人間関係にとりもどすことによって、宗教を絶滅しようとするのである。4)

 フォイエルバッハに於ける弁証法の欠如がよくいわれるが、それも①、②と別の指摘ではない。対象を発展のない固定したものとしてとらえる彼の自然観は非弁証法的であるし自然と人間の関係を直接的統一としてとらえるのも同様である。フォイエルバッハ自身は弁証法的なものへの志向は見せているが、それも単に自己意識の領域の中だけにすぎず、現実的存在のあいだの否定的、対立的関係は捉えられていないから、その弁証法も歴史の中では捨て去られる他なかったのである。

 又、フォイエルバッハは人間を自然の中で捉えたが社会の中で捉えなかった、とも言われる。彼は人間を正しくも共同的存在、類的存在である事をいいあてたが、その共同体も彼においてはせいぜい男女の結合である夫婦(家族)しか考察の対象となっていない事からみても、それは確かに的を射た指摘であるように思うが、このような表現は自然と社会を切り離して考えるという意味で不適切であり、むしろフォイエルバッハは自然と社会を統一的にとらえていず、従って人間をその統一を媒介するものとして捉えていないというふうに言った方が適当だと思う。そしてこの批判も結局は①、②から出てくるものである。

 フォイエルバッハの「現実的人間学」は現実的、具体的人間を出発点とした。そしてその際の現実性、具体性を支えているもの、思惟上の存在と現実的存在とを区別するものが感性あるいは感覚だった。しかし、その感性でさえ、その対象自身が歴史的に発展してきたと同様に、歴史的に生成してきたものである。フォイエルバッハにはその事が見抜けなかった。彼は宗教批判として天上の批判はした。人間を天上から地上に引きずりおろすことはした。しかし引きずりおろしてきた途端に、その人間をそのままただちに現実の人間として定立したところに彼の誤りがあったのである。この人間は母親の胎内から生れたのではなく神から脱皮したものである。従って歴史的に発生し、歴史的に限定されている現実の世界に生活していない人間である。彼はこの点で死ぬほど嫌っていた抽象の世界におちこんでいる。フォイエルバッハの抽象的人間から真に現実的人間へ達するには、「自然の基礎の上に立つ人間」を物質的生産の中で捉える必要があった。

 マルクスの史的唯物論はそこが出発点となる。フォイエルバッハは哲学と自然科学との結合を主張したが、マルクスは経済学を媒介することによってこの現実的人間に到達していったのである。

 

1)「将来の哲学の根本命題」41節

    「キリスト教の本質」岩波文庫(上)P61,P66

2) 「将来の哲学の根本命題」59節

3) マルクス「経済学・哲学手稿」岩波文庫、P140

4) マルクス「フォイエルバッハ・テーゼ」の4

 

 

(Ⅳ) マルクス・史的唯物論の形成

 

 前章で、フォイエルバッハ批判の立脚点を彼の自然-感性-人間把握の誤りに置いて、一般的に歴史の欠如、社会の欠如、弁証法の欠如としていわれていることも実は、そこにその根源があることを明らかにしてきた。しかし、フォイエルバッハ批判が真になされるためには、単にフォイエルバッハの不充分な点を指摘するだけではそれこそ不充分であることはいうまでもない。前章でフォイエルバッハを超えるものとして方向だけ示唆しておいた史的唯物論についてここで述べておきたい。ただ序章でも述べておいたように、これだけ独自に扱っても一大論文となるようなテーマだし、又、マルクス主義の諸理論分野の中でも最も遅れた、それなりに論争の多い分野であるので、その意味でも詳述したらキリがないということをふまえた上で、ここではフォイエルバッハ批判のしめくくりとして必要な部分だけ要点的に取り扱って終えたいと思う。

 フォイエルバッハは人間は文化、歴史の産物であることを正しく言いあてたが、彼においてはこの主張は実を結ばなかった。彼の描いた人間は自然的存在である以上ではなかったのである。そしてフォイエルバッハの対象的存在、類的存在という人間把握を受けつぎそれを社会-歴史の中で物質的生産を行なうものとして捉えなおしていったのがマルクスである。

 一般的にはマルクス主義の形成過程で、史的唯物論といえば「ドイツ・イデオロギー」があり、更に定式化されたものとしては、有名な「経済学批判序言」があるが、ここでは「経済学・哲学手稿」を使って整理してみよう。1)

 

(一)自然と人間(矛盾)

          「人間は自然から生まれ、自然は人間の身体であり、死なないためにはこれにたえずかかわりあ

    っていかねばならぬ。また人間は、全自然を自からの非有機的身体にするという点で普遍的存在

    である。」

(二)普遍的存在としての人間(類)

   A)「人間の普遍性が実践的にあらわれるのは、まさしく全自然を自からの非有機的身体にする所

     の普遍性においてである。」

   B)「人間は、個別的存在の総体として類的存在である。」

   C)「人間は類的存在である。すなわち類に対して彼自身の本質に対してのようにふるまい、ある

     いは自己に対して類的存在に対してのようにふるまう。」

   D)「類的存在=意識的存在とは、自からを類的地点より対象化し、自から類的存在としてふるま

     うからである。従って、自分の内部における二重化-個別的あるいは特殊的存在としての自分

     に対するより普遍的関係の中の自分-は、個別存在としての自分と類的存在全体との関係の反

     映であり、また究極的には自然による規定を根源としておこる。この自己の自己自身への新た

     なる関係は、他の人間への関係を通じてはじめて対象的、現実的となる。」(要約)

(三)自然と人間の関係(労働)

   A)「人間は自然なしに生きていけない。いいかえれば『人間の自然的本質』=『生の諸力・衝 

     動』の諸対象は、彼の外に独立したものとして存在し、またその対象においてのみ彼は自から

     の生の表明をなしうる。」

   B)「人間は自らと対象との矛盾を単に意識の内においてのみならず、仕事的、現実的に二重化

     し、自分によって創造された世界の中で自分をまのあたりにみる。人間は対象的世界の加工の

     中ではじめて現実的に1つの類的存在としての実を示す。」

(四)人間の発展

       「人間は対象の獲得の中で、さらに新たなる欲望を産出する。」

(五)人の生産

       「人間は類的活動の中で同時に他の人間の生産を行なう。」

 

 以上のように要約することができよう。ここで、フォイエルバッハと対比して重要なのは、自然と人間との関係が矛盾関係としてとらえられていて、人間の普遍性をそれへのかかわりの中で規定していること。第二に、より具体的に言えば、人間の自己二重化が単に意識の中のみならず、対象的世界の加工という実践的な活動として捉えられ、類的存在という規定もその中で現実性をもつものとされていること、そしてその対象の獲得の中で、欲望の生産、人間の生産がおこなわれているとされていることだろう。

 ここでは社会的生産ということが語られている。

 これが史的唯物論の出発点であるだろう。「経済学・哲学手稿」でマルクスは既にこれだけの内容を獲得しているのである。

 この「経・哲手稿」を執筆するにあたってのマルクスの頭の中には当然彼が史的唯物論を形成していく上で重要な役割りを果たしたフォイエルバッハがあったということは疑いない。我々はそれを彼の言葉の一字一句に認めることができるが、ここで重要なのは、フォイエルバッハの影響を受けつつ、それを、克服している点を確定する事である。初期マルクスの切りすて、即ち「経・哲手稿」と「ドイツ・イデオロギー」の間に断絶を認め「経・哲手稿」をフォイエルバッハの影響下にあったものとして切りすてる傾向に対する反論は既に多くなされてきているが、ここでのマルクスの文章をもってしての整理も、その試みの1つでもある。

 史的唯物論における始元の確定。2)これがこの章の目的であり、それがなされた以上、もはや述べる事はない。

 

1)主に第一草稿「疎外された労働」より

2)ちなみに「ドイツ・イデオロギー」で史的唯物論の始元はどのように記述されているかについてふれ

  ると「I.フォイエルバッハ」の中の「根源的な歴史的諸関係の四つの契機」として述べられている

  ところがそれにあたるだろう。そこでは次のようになっている。

  「第一の歴史的行為は、これら(食うことと飲むこと、住むこと、着ること、そのほかなおいくつか

  のこと)の欲望をみたすための手段の算出、すなわち物質的生活そのものの生産である。」

  「第二の点は、満足された最初の欲望そのもの、満足させる行動、および満足のためのすでに手に入

  れた道具が、新しい欲望へみちびくということであり-そしてあたらしい欲望のこの産出こそ第一の

  歴史的行為なのである。」

  「第三の関係は、自分自身の生活を日々あらたにつくる人間が他の人間をつくりはじめること、すな

  わち繁殖しはじめることであり、一夫と妻との、親と子との関係、すなわち家族である。」

 

  「生活の生産は、労働における自己の生活の生産も、生殖における他人の生活の生産も、そのまます

  ぐに二重の関係として-1方では自然的な、他方では社会的な関係として-あらわれる。ここに社会

  的というのはどんな条件のもとにしてもどんな様式によるとしても、またどんな目的のためにして

  も、いくたりかの個人の協働という意味である。ここからつぎのことが明らかになる。即ち、一定の

  生産様式あるいは産業段階はいつも一定の協働様式あるいは社会的段階とむすびついており、この協

  働様式がそれ自身1つの『生産力』であるということ。」

 

                   

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