甲山事件と控訴審

1997725日に八尾市文化会館で開催された日本刑法学会関西部会での報告。

 後に日本刑法学会「刑法雑誌」第40巻第1号に掲載)


1.はじめにーーー甲山事件の経過と特徴

2.第一次控訴審の裁判所の心証形成過程(その1)

3.第一次控訴審の裁判所の心証形成過程(その2)

4.第二次控訴審の展開

1.はじめにーーー甲山事件の経過と特徴


甲山事件(裁判)は、二度の無罪判決、二度の検察官控訴、そして、二度の控訴審を経験した。第一次控訴審は1990年3月に判決が出ているが、甲山事件の経過の中でも唯一の敗北的結果、すなわち無罪判決が破棄され、差し戻されるという結果になった。第二次控訴審は、1999年9月29日に二度目の検察官控訴を棄却し、事実上三度目の無罪を確認する判決を言い渡した。(大阪高判平11.9.29.平11(う)568)10月に入り、検察官側が上訴権放棄の手続きをとったため、これが確定するに至っている。
私に与えられたテーマは、「甲山事件と控訴審」であるが、以上の二つの控訴審を比較しながら、第一次控訴審で、何故あのような結果になってしまったのかを、控訴審の構造とからめながら私なりに考えてみたい。


控訴審の問題に入る前に、甲山事件の経過とその特徴を簡単に振り返ってみたい。甲山事件の発生は、1974年であり、二次控訴審判決の確定まで25年、裁判が始まってからでも21年経過し、異例の長期化をたどった。25年を捜査段階と公判段階に分けると、捜査段階では、いったん釈放、不起訴になった者が、4年後に同一容疑で再逮捕、起訴されたこと、国家賠償請求訴訟で証言した者が偽証罪で逮捕、起訴されたことなどが特徴的だ。そして、公判段階では、二度の無罪判決に対し検察官より二度控訴がなされ、控訴審を二度経験しているという特徴がある。捜査、公判を通じての証拠上の問題では、園児の目撃供述の信用性が最大の争点となっており、その証拠調べが、非公開で宣誓なしで行われたこと、及び、証拠開示をめぐる問題など刑事訴訟法上のさまざまな問題が、甲山事件の中であらわれてきている。


それでは次に、第一次控訴審を見てみたい。経過を年表にすると、次のようになる。
1985年(昭和60年) 10月17日 第二次一審判決(無罪)

1986年(昭和61年) 11月28日 検察官控訴趣意書提出

1987年(昭和62年) 11月30日 弁護人答弁書提出

1988年(昭和63年) 10月12日 第1回公判(検察官証拠請求)

1988年(昭和63年) 12月 9日 第2回公判(証拠採否決定)

1989年(平成元年)  2月 1日 第3回公判(証拠調べ始まる)

1990年(平成2年)  1月 19日 第18回公判(結審)

1990年(平成2年)  3月 23日 第一次控訴審判決(原判決破棄差戻し)


第一次控訴審の経過で特徴的なのは、第一次一審判決から第一次控訴審の第一回公判まで3年余りかかっていることと、逆に結審から判決までがわずか2ヶ月しかあいていないことである。

第二次控訴審の経過は次のようになっている。
1998年(平成10年)  3月 第二次一審判決(無罪)

     同 (平成10年)  8月  検察官控訴趣意書

     同(平成10年)   11月  弁護人答弁書

1999年(平成11年)  1月 第一回公判

     同(平成11年)  3月 第四回公判(結審)

     同(平成11年)  9月 第二次控訴審判決(控訴棄却ー確定)

 

第二次控訴審では、第一次一審判決からわずか10ヶ月後に第一回公判が開かれており、逆に結審から判決までは6ヶ月おいている。

次に、第一次控訴審で行われた証拠調べについて見てみる。第一次控訴審では検察官より46点の証拠請求がなされた。その内訳を6つのグループに分けると次のようになる。
第1グループ 園児鑑定書・鑑定人

第2グループ 園児の取調べ警察官と立会人

第3グループ 学園職員

第4グループ アリバイ関係(電話の相手方等)

第5グループ みかん関係

第6グループ その他


そして、その内第一次控訴審で採用され、証拠調べのされたものは次のとおりである。

 

第1グループ (信用性に関する部分を除く)

第2グループ (藤岡・前田関係)

第6グループ (検察審査会議決書)


2.第一次控訴審の裁判所の心証形成過程(その1)


最初に、少し一般的なことを述べると、控訴審の裁判官は、判決を含めた一審記録を十分検討した上で、控訴趣意書や答弁書を読み、検討するというよりは、控訴趣意書をまず読み、そこで一定心証を形成した上で一審記録や答弁書を見るという順序になっていると思われる。


この裁判所の心証形成過程を図示すれば、

□第一審記録→控訴趣意書→答弁書ということではなく、

□控訴趣意書→第一審記録→答弁書ということになるだろうと思われる。


そして、これはおそらく実務上の実際のやり方ということだけでなく、控訴審の構造、すなわち当事者主義を基調にしながら、原判決の当否を判断するといういわゆる事後審という控訴審の構造、性格に密接に関連していると思われる。
一審の裁判官が、第一回公判に臨む前は、起訴状しか見れない(起訴状一本主義、予断排除)のに対し、控訴審の裁判官は、第一回公判以前に(予断に満ちた)控訴趣意書を読んでおり、(勿論、一審記録全体に目を通しているとは思われるが)、控訴審での証拠調べに入る以前に、かなり控訴趣意書に影響されているという面がある。これを「起訴状一本主義」に対し、あえて名付ければ控訴審は、「控訴趣意書中心主義」ということができると思う。検察官は、控訴審のこのような構造をよく知っているが故に、控訴趣意書(特に一審の無罪判決に対する控訴趣意書)にはかなり力を入れる。この点は、弁護人たる弁護士も見習わなければならないと思うが、弁護士としての率直な感想を言えば、控訴審の裁判所にいかに予断を植え付けるかに力を注ぐわけである。

甲山事件の第一次控訴審における検察官の控訴趣意書は、この点ではよく出来ていたと言わねばならない。一審があえて証拠調べをしなかったアリバイ工作があった旨を主張し、その他偽証工作、園児に対する口止め工作等、証拠隠滅工作をかなり強調した。
これらは、いずれも証拠に基づく根拠のあるものではないのだが、検察官は審理不尽を控訴理由としていたため、控訴審の裁判所は証拠調べをすれば、検察官主張の事実が出てくると思ってしまったようだ。そして、証拠で最も重要な園児の目撃供述についても、一審があえて「必要なし」として証拠調べをしなかった専門家(心理学者、精神科医)の鑑定について事実の取調べをしてみたら、結論(信用性についての判断)が変わるかもしれないと思ってしまったようだ。
この点で、検察官の控訴趣意書の狙いは成功したと言わざるをえない。後に無罪判決が破棄され一審に差戻される判決が出るわけだが、そこに至る布石はまずこの控訴趣意書にあったと思う。
そして、先に年表で見たように、第一次控訴審の経過の中で、第一回公判まで三年かかっているが、控訴趣意書が出て以降の二年は、ほぼ控訴趣意書を中心に裁判所の心証形成がすすみ、第一回公判が始まる段階でほぼ後の判決での結論は、心証としては形成されてしまっていたのではないかと思う。


3、第一次控訴審の裁判所の心証形成過程(その2)


次に、第一次控訴審での証拠調べの特徴について検討したい。第一次控訴審で検察官がどのような証拠を請求し、その内実際に裁判所がどれを採用し、事実の取調べをしたかについては、既に「第一次控訴審の概観」で見た。その中心は、園児関係であった。検察官の請求に基づき、園児の供述に関する鑑定関係と目撃供述を最初に引き出した警察官とその時の取調べの立会人を証拠調べしている。控訴審での事実の取調べの実情については、弁護人(被告人)控訴の場合、多くは、証拠請求が却下され、せいぜい被告人質問をその場でやらせてくれる位で結審してしまうケースがほとんどである。それに対して、検察官控訴事件での検察官請求証拠については、大幅に認めていく傾向にある。そのような実情については、控訴審裁判所の検察官寄りが批判されているところであるが、甲山事件の場合もそうであった。


そして、控訴審でどのような証拠調べをするかは、控訴趣意書に大きく影響される。甲山事件の場合、最も重要な証拠は、複数園児の目撃供述であり、最大の争点はその信用性であった。それを否定した第一次一審判決に対し、検察官は控訴趣意書で様々な観点から批判を加えたが、特に第一次一審が証拠調べをしなかった点につき、強調した。その一つが、控訴審で取調べる事になった園児供述に関する鑑定である。検察官は、捜査段階で心理学者や精神科医などの専門家に目撃園児の供述能力やその供述の信用性に付いて鑑定を依頼し、鑑定書が作成されていた。第一次一審はそのような鑑定をあえて証拠採用しなかった。園児自身を直接調べているし、園児の捜査段階の供述調書類も調べているから、それ以上に専門家の判断を参考にする必要はないと考えたのだ。ところが、控訴審裁判所は、それらを調べ直すことにした。さすがに信用性に関する部分は裁判所の専権と考えたのか採用しなかったが、供述能力に関する部分は鑑定人と鑑定書を証拠調べした。
控訴審の裁判所は、知的能力の発達の遅れた子供というのは、どういう特性を持っているか判らないから、専門家の判断を聞く必要があると考えたようだ。そのような姿勢の中に、既に控訴趣意書からの影響、すなわち園児に対する見方として、「嘘は言えない。見ていないことを見たように言う作話能力はない」とか、「連れ出しの目撃など覚えていて、供述する能力はある」とかを受け入れていることがうかがえ、それを証拠調べで確認した、固めたということだと思われる。

二つ目は、園児が目撃供述を言い始めた状況に関連して、取調べ警察官とその時の立会人の証人調べがなされた。検察官は、園児が目撃供述を任意に言い出したこと、従って、その供述内容は信用できることを立証するため請求したのだが、それを控訴審裁判所は採用した。
そもそも、警察官は、証人として出てきて、自分が「誘導しました」とか「暗示しました」とか認めるはずがなく、園児が自発的に述べたと証言するに決まっている。園児取調べの際に居た立会人は、第三者だが、警察官が立会人のいる場で露骨に暗示・誘導するはずもなく、立会人が立ち会った事情聴取においては、暗示・誘導はなかったと証言するに決まっている。そんなことはわかっていて、証人採用したことの中に、控訴審裁判所の姿勢があらわれていたと思う。
案の定、園児供述については、鑑定関係と目撃供述を言い出した状況についての取調べ警察官と立会人の証拠調べを経て、第一次控訴審の裁判所は、園児供述の信用性については、これを認める方向での判断を示し、その他の証拠調べをすべく、第一審の裁判所へ事件を差戻した。

私は、控訴審の裁判所の心証形成は、控訴趣意書に次いで、控訴審で直接取調べた証拠の影響が大きいのではないかと思っている。事実調べの主なところは第一審で行われているわけだが、控訴審にとっては、一審で行われた証拠調べの結果は、単に過去の記録でしかない。そのような過去の記録から心証を取るよりは、自分たちの目の前で行われた証拠調べから心証を形成することになってしまうのだ。
園児供述の信用性判断については、本来、第一次一審判決の判決が指摘しているように、供述変遷(特に三年後に目撃供述を言い出している問題)、供述内容の矛盾、事件当夜に職員に目撃事実を伝えていないこと及び客観的裏付けに欠けること等総合的に判断しなければならない。ところが、第一次控訴審の裁判所は、第一次一審で検討されている、それらの点をほとんど検討することなく、控訴趣意書と第一次控訴審で直接調べた証拠のみに基づいて、園児供述を信用性ありと判断してしまった。
甲山事件は、園児供述をどう見るかが要となる。園児らが本当のことを言っているという心証を持ったら、「被告人は殺っているに違いない」ということになり、その他の証拠についての評価も、全て無罪の第一次一審判決とは逆になってしまう。


4.第二次控訴審の展開
以上述べてきたように、第一次控訴審の裁判所の心証形成過程を理解すれば、自ずと、弁護人として何をなすべきだったかが出てくる。その意味で、第二次控訴審の展開を簡単に見てみる。
第一に、答弁書の提出を早い時期に行った。検察官の控訴趣意書の提出が早かったので、控訴趣意書による裁判所への影響を避けるために、できるだけ早い時期に、内容的にも控訴趣意書に対する全面的反論を加えた答弁書を提出した。
第二に、検察官の証拠請求に対しては、求釈明を繰り返し、論争を十分にする中で、証拠調べに徹底的に反対した。その結果、一部証拠調べをすることにはなったが、その証拠調べの結果についても検察官の意図どおりにはならなかった。
そのようにして、第二次控訴審は早期結審し、二度目の無罪判決からわずか一年半あまりで、控訴棄却の判決を言い渡した(また、偽証罪に問われた二名についてもそれぞれ控訴棄却の判決で無罪が確定した)。










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