君たちに明日はある

(平成22年9月16日 大阪布施高校にて)

 

1. 初めに

今日は、自分がどのような道をたどって弁護士になったかという話しをして、君たちが将来の職業をどのように選択していくかということについて話したいと思います。

 

2. まず私の簡単な経歴を話します。

(1) 私の家は母子家庭で、小さい頃に両親が離婚し、母親が1人で3人の子供を育てました。私は3人兄弟の末っ子、一番上が姉で、次が兄、年は5つ位ずつ離れています。

母子家庭で貧しかったので、一番上の姉は大学へ行きたかったけど経済的に無理で高校を卒業して就職、兄も工業高校へ行き、卒業して就職。私が高校へ行った時は、上の2人が働いていたので、生活にゆとりができ、大学へ行けました。


(2) 高2の頃までは、魚が好きだったので水産大学へ行こうと思っていました。クラブ活動に熱中していて勉強はあまりしませんでした。理系科目が好きでなかったことから3年の時に文系に転向。学部選択は迷っていましたが、結局文学部へ。1年浪人して大学に合格しました。

受験時代ですが、高校3年の時に自分の部屋を初めて持てたということで、うれしくて浪人時代はほとんどそこに閉じこもっていました。受験勉強は、予備校へは行かず、自宅で、参考書や問題集をやりました。その頃から、「勉強は教わるものではなく、自分でやるもの」と思っており、それを実践していました。浪人時代は時間が一杯あったので、夜から夜中は勉強にあて、昼間まで寝て、午後は読書にあてました。1日1冊を目標に岩波新書の主に社会科学系の本を毎日読んでいました。


(3) 大学時代ですが、自立したいということで、親からの仕送りは若干貰っていましたが、授業料を免除してもらって、奨学金を貰って、アルバイトをしながら大学時代を送りました。文学部では哲学を勉強して、卒業後は経済学部へ入り直し、経済も卒業しました。弁護士をしていると、ほとんどの人が法学部出身だと思いますが、私の場合、大学で法学部を経験しておらず、法律は勉強していません。


(4) 文学部へ入ったころは、将来は大学に残って研究者になるか、マスコミへの就職、特に新聞記者になるか、というようなことを考えていました。

しかし、そのような道を断念せざるをえないような事件が発生しました。自分が逮捕されるという事件です。それも2度、その内1回は、すぐ釈放されたものの、もう1回は起訴され、長い裁判を経て、有罪判決を受けるということになりました。

逮捕歴を有したり、ましてや有罪判決を受けているということになれば前科者になるから、大学に残って研究者になるとか、マスコミも含めて一般企業に就職するということは無理になります。

そこで、自分の将来、特に仕事として何をするかということを考えざるをえなくなりました。

大学時代友人と学習塾をやっていましたが。講師だけでなく経営もやっていました。それなりに人も集まり、食べていくには困らないほどの収入はありました。

しかし、それを一生続けるという気持ちにもなれず、経済を卒業する頃には、将来の仕事を考えざるを得ませんでした。

弁護士になろうと思ったきっかけは2つあります。1つは、甲山事件という冤罪事件に関係を持ったこと、甲山事件というのは1974年に兵庫県西宮市の甲山学園という施設で子どもが死亡し、そこの保母さんが園児殺害容疑で逮捕され、20年以上にわたる裁判で最終的に無罪が確定したという事件ですが、その事件の裁判に関心を持って、傍聴を続けました。傍聴だけでなく、支援を続け、そういうことを通して、弁護士の法廷活動などを見るなどして、やってみたいと思うようになりました。

もう1つは、自分の裁判で、こっちは自分が被告人としての立場で裁判に向かい合った訳ですが、その弁護士から、「君は弁護士に向いているから、弁護士になってみないか」と言われたこと。その弁護士が何を考えて私に弁護士になることをすすめてきたかはわかりませんが、それでする気になりました。その弁護士からすれば、私はもう普通の就職は出来ないということですすめたのかも知れません。


(5) 司法試験のこと

弁護士を目指すことは決めたものの(その時点で30歳を過ぎてました)、法律を勉強したことがあるわけではなく、どんなやり方をしたら良いのか解りませんでした。そこで、知り合いの弁護士に必要な本を教えてもらって、それを購入して読み始めました。私に弁護士になることをすすめた弁護士は、大学の法学部の授業を受けることをすすめましたが、私自身はその必要性を感じておらず、大学受験と同じように独学で勉強して受かるつもりでした。勿論予備校にも行きませんでした。

司法試験は今では変っていますが、当時は最終合格者は500人で、それに対し受験者は約2万人、約40倍の日本一難しい試験といわれていました。

試験は3段階に分かれており、第1段階は5月にマークシート方式の試験、それに通ると7月に論文式の試験、それも通ると10月に口答試験といって課目ごとに試験官に面接して、口頭で質問され、口頭で答えるという試験であり、それも通って初めて合格になるという過酷な試験です。

マークシートの試験は1年目で通りました。課目は3課目であり過去の問題を徹底してやれば、正解がどれであるのかの勘どころはつかめるようになります。

ところが、2段階目の論文式が仲々通りませんでした。3回受けても通らず、何とかしないといけないと考えました。論文というのは、文学部でも経済学部でも書いており、自分としては文章を書くことも好きで、自信はありました。

ところが普通の学術論文というのは、資料にあたることもできるし、思考と文章作成に時間をかけることもできるのに対し、司法試験の論文というのは、見ることができるのは六法だけ、1問に対し、与えられた時間は1時間で、その間に考え、要領よく文章をまとめなければなりません。起承転結というか、文章の全体の構成としては最初に何が問題となるかという問題提起をおき、次にそれに対し、自分はどう考えるかという結論を書き、その次に何故そのような結論になるのか理由付けを書くということをきちんとしなければなりません。その要領というのが独学では仲々わからず、4年目に初めて予備校というところに行きました。

論文の書き方を教わり、実際に書いたものを添削してもらって、どういう書き方をしたらよいかを身につけ、これは受かりそうだと思ったら次の年に合格しました。


(6) 弁護士になるまで

司法試験に受かったからといってすぐ弁護士になれるわけでもありません。当時は2年の修習期間というのがあって、その期間に、裁判所と検察庁と弁護士会の3つを回って、色々と経験し、その後の道を選ぶことになります。つまり、裁判官か検事か弁護士になるわけです。裁判官と検事は公務員で、弁護士は非公務員。弁護士会というところに入って、初めて弁護士として活動できることになります。

私の場合、弁護士になるつもりで司法試験を受けましたが、実際に逮捕歴や前科があったので、裁判官や検事になろうと思ってもなれませんでした。しかし、弁護士は、前科のある私のような者にも開かれた職業です。

2年間の修習期間を終え、卒業試験を通ると、はれて弁護士になれます。弁護士になってもすぐ1人で独立して仕事ができるわけではなく、普通どこかの法律事務所に勤めて、そこで給料を貰って活動することになります。これを勤務弁護士(アソシエイト、イソ弁)言います。

これに対し、経営者的な立場の弁護士をパートナーとかボス弁と言います。最近はノキ弁とか、ホカ弁とかいう言葉も生まれています。(ノキ弁とは他人の事務所の軒を借りて弁護士業を行う弁護士のことであり、ホカ弁とはなりたての弁護士のことです。)

弁護士の仕事の良いところは、組織ではなく、1人1人が独立していることです。イソ弁の時は、ボス弁に言われたことをしなければなりませんが、その場合でも、仕事は任され、いちいち指導してくれるわけではありません。自分の判断で全てやらねばならず、それだけ責任も重いということです。


弁護士の仕事は大きく分けると民事と刑事ということになります。刑事というのはテレビドラマでよくやっていますが、犯罪を犯したということで捕まっている人、裁判にかけられている人を弁護する仕事です。やっていない人を弁護するのはよいが、やった人を弁護するというのは、正義にもとるのではないかという人もいますが、私たちが弁護するのは、殆どが悪いことを実際にした人で、悪いことをした人でも、適正な手続きを経た上で、適正な刑罰が課せられねばなりません。そして、2度とこのようなことをしないように更生させねばなりません。それが私達の仕事です。私は先ほど述べたように、逮捕歴があり、前科もある弁護士です。警察の取調べも体験しているし、警察の留置所や拘置所も経験しています。このような経験を持つ弁護士は殆どいません。捕まった人に面会に行った時、特に若い真面目な人で、犯罪を犯して捕まった人で、そのショックで、もう自分の人生は終わりだみたいに考えている人がいます。そういう人に対しては、私は自分のことを話すようにしています。私は今は弁護士をやっているが、若い頃は君のように警察に捕まったこともあるし、裁判にかけられて有罪になり、前科もついた。それでも今では弁護士をやっているんだし、若い頃の過ちなんて長い人生の中では大したことはない。むしろ、それをきっかけに自分がちゃんとすれば良いのであり、ようは自分次第なのである。そういう話をすると、皆へーという顔をして、なんとなく親しみを感じるようで、ホッとした顔になります。


最近は刑事裁判に市民感覚を取り入れるということで、裁判員裁判というのが始まりました。私も1度経験し、まもなく2つ目をやろうとしていますが、これが弁護士としては非常に面白い。職業裁判官に訴えてもあまり手ごたえはありませんが、市民の裁判員に向って話すということは、色々な意味で工夫がいり、例えば、わかりやすくとか、どういうところを訴えたら心に響くだろうとか、そういう事を考えながらやります。普通の裁判なら書類にして読み上げるというところを、裁判員裁判では、何も見ずに、裁判員の目を見ながら、彼らの反応を見ながら話しかけるように喋るということをしています。


刑事に対して民事というのは、例えばお金を貸したのに返してくれないということで、返還を求めるような事件です。私人と私人との間のトラブルを扱うのが民事事件です。広い意味では民事に入るのでしょうが、家事事件というのもあります。これは字のとおり、家の事に関連するもので、夫婦間の離婚問題とか、親が死んでどの遺産をどう分けるかとかそういう問題を扱うことです。裁判所としては家庭裁判所がそれを担当します。


テレビドラマを見ていると、弁護士というのは裁判に関わることばっかりやっているようですが、実際に私達がやっている仕事の内裁判になっているのはその内の一部で、裁判になってない交渉事件とか、相談事件というものも一杯あります。書類を書くだけということもあります。


3. さて、そろそろ時間もなくなってきたので、私の話をまとめていきたいのですが、長々と私の経歴など話して、要するに私が言いたいのは、

① 自分の未来は、決められたものではなく(例えば、家柄とか、貧富とか、親の職業とか)そういうもので決められるわけではなく、自分が自由に選択できるということであり、

② それは自分の過去にも関係なく、

③ 自分の年齢にも関係ない

ということです。つまり、自分がやりたいと思うことを、それを思った時に、やったらよい。勿論そのための努力はしなければなりませんが、やりたいと思うことをやるための努力というのはそう苦にならないし、やり遂げた時の達成感で、それまでの苦労など全部吹きとんでしまうものです。

そして、やりたいことができるためには、自分の周囲の環境も整っていなければならないこともありますが、環境などというのも、自分が作っていくものだという位に考えたほうがよいでしょう。

 

私にも君らと同じ位の子供がいます。君らよりちょっと年上で、今年高校を卒業して、今大学を目指して浪人しています。あまり勉強をやらないのですが、将来何になりたいとか、どんな仕事をしたいとかいう話は良くしています。周囲は、私が弁護士なので、息子さんも法学部志望で、弁護士になるんでしょう等と言いますが、息子は全くそういう道を考えていないようです。高3の時は、理科系で環境問題をやりたいと言っていたのが、浪人してからは、文科系に変更し、今度は国際的な難民問題に取り組みたいとか言って国連に就職したいなどと言っています。私などは、国際的な難民問題に取り組みたいというのなら、別に大学など行かなくても、NPOとかNGOのメンバーとして現地に行って出来ることをしたら良いんじゃないか、大学なんか後回しにしても良いんじゃないかと言っているのですが、本人は取り合えず大学へ入って遊びたいなどと矛盾したことを言っています。私としては、子供がやりたいと思っていること(これも今後色々と変ると思いますが)を何とか実現できるよう陰ながら見守っていこうと思っています。あまり経済的援助をするつもりはありません。子供には親に頼るなと言っており、子供に早く自立して欲しいし、何とかなるもんだと思っています。


4. 今日君たちに話しをした内容にタイトルをつければ「君たちに明日はある」ということになると思います。昔フランスに哲学者でサルトルという人がいましたが、彼が「実存主義とは何か?」で述べたのが、人間とは未来に向って投企する存在だ(それが自由)ということです。もう少しやさしく言うと、自分の未来は白紙のノートみたいなもので、そこを埋めていくのは自分自身だということです。

その言葉を最後に今日の話しを終えたいと思います。

 

片見冨士夫法律事務所

〒564-0053

大阪府吹田市江の木町2−32

フレアコート江坂503

TEL :06-6170-1597

FAX :  06-6170-1598

 

地下鉄御堂筋線

江坂駅下車徒歩3分

 

月〜金曜日

午前9時30分~午後5時30分

土・日及び夜間のご相談も可能です。お問合せください。

 

email;f.katami.l.o@gmail.com

 

お気軽にご相談ください