伊藤真の司法試験塾・法学館/日本評論社刊
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冤罪事件の発生原因を検証〜「甲山事件」が教えること
裁判・司法の現状を市民の目で検証する……2000年6月17日(東京校)ほか

この事件は兵庫県西宮市にある甲山学園という知的障害児の施設での事件で1974年に発生しました。3月17日と19日に連続して子どもが行方不明になりました。19日の深夜に園の浄化槽から二人の子どもが遺体で発見され、殺人事件としての捜査が始まりました。そして4月7日に、その園で働いている保母・山田さんが犯人として逮捕されました。しかし、山田さんは22日間勾留されましたが処分保留で釈放になったんです。実は警察は山田さんから、殺人についての自供調書をとっていたんですが、にもかかわらず釈放されるという、きわめて珍しいケースになったわけです。

翌(1975)年、山田さんは不起訴処分になりました。普通は、刑事事件としては、これで終わりのはずだったんです。


・・・・・無罪確定まで25年間・・・・・
ところが、事件から四年後、1978年に山田さんが同一容疑で再逮捕されたんです。実はその時、その園の園長さんと同僚の保母さんも逮捕されたんです。山田さんは最初に逮捕され、処分保留で釈放された後に、国に対して国家賠償請求訴訟を起こしたんです。当時、山田さんは警察を信頼し、警察の取り調べにいろいろと協力しながら対応していました。ところが、彼女が釈放されて後に新聞等を見ますと、あることないこと彼女の生育歴が全部暴かれていたんです。父親が二度ほど離婚し、彼女は再婚したお母さんに育てられたということなどが書かれ、そういう暗い過去が園児殺しに結びつけられて書かれるというとんでもない記事になっていたわけです。これらの情報はすべて自分が信頼していた警察から流れたんです。彼女はあくまで自分は処分保留で釈放されたのであって、まだ無実だということを警察は認めてくれたわけではない、ということで国家賠償請求訴訟を起こしたんです。この国家賠償請求訴訟のなかで、園長さんと同僚の保母さんが、一人目の子どもが行方不明になったあとに山田さんが一生懸命に捜索活動をしていたというアリバイを証言していたんです。検察はその証言を偽証だということで、山田さんを再逮捕した時に、同時にその園長さんと同僚の保母さんも逮捕したんです。
再逮捕された山田さんは容疑を否認しましたが起訴されました。山田さんはそれから延々、21年裁判を受けたわけです。事件発生からですと終結まで25年半ぐらいかかりました。
裁判は一審は無罪、二審は原判決破棄の差戻し、それに対する弁護団の上告は棄却。第二次一審、つまり差戻審では再び無罪。検察の二回目の控訴が、去(1999)年の秋に棄却されましたので、私たちはこれを三度目の無罪と呼んでいます。そして最後に、検察官の上訴権の放棄。上告の期間が経過してしまったということではなくて、期間内に放棄し、やっと無罪が確定したということです。もちろん偽証罪が問われた二人についても無罪になって、刑事事件としてはすべて終わったということです。

・・・・・問われる警察の初期捜査・・・・・
理由にならない理由で逮捕され、無罪確定まで25年かかったこの事件の問題点として、まず、初期捜査の問題点があげられます。そもそもこの事件で山田さんを犯人としたこと自体の問題なんです。そして、そもそもこれは殺人事件だったんだろうかという問題なんです。
私は、山田さんが再逮捕された年に、その頃障害者の施設にはどんなことが起こっているかいろいろ調べてみました。すると新聞記事を拾っていっただけでも、こういう施設で子どもの死亡事件が数件起こっているということがわかりました。そして、死亡事件の原因についてはわからない場合が多いということでした。ただ、いずれの事件も殺人事件という扱いでなく事故として処理されていました。愛知県で三人の園児が連続して行方不明になって、鉄条網に引っ掛かって、溝に落ちてしんでいたという事件が発生しているんですが、その事件でも殺人事件という扱いにはなっていませんでした。そういうなかで、なぜこの事件だけが殺人事件ということになってしまったのかということなんです。
どうも警察は、同じ浄化槽で二人が死んでいた。誰かが放り込んだんだろうということで殺人事件だと考えたようなんです。子どもが発見されたその日の夜中に殺人事件としての捜査本部がつくられたんです。こういう施設では子どもたち同士の傷害事件が多数発生しており、この事件もそういう見方もするべきだったと思うんですが、警察が殺人事件ということで事件を設定して、そこからずーっと突っ走ってしまったことに大きな誤りがあったと私は思っています。
殺人事件としての捜査は、まず外部犯行説が切り捨てられ、内部の人間の犯行として捜査されていくことになりました。この施設は高いフェンスに囲まれており、外部の者がフェンスを乗り越えた痕跡はないということになったからです。
内部犯行説をとった警察は、まず捜査対象から子ども、園児を外しました。死体が発見された浄化槽にはマンホールがあって、その蓋は17キログラムあって重いので、園児ではこの蓋を持ち上げることはできないとということで、まず園児を外しました。その上で3月17日と19日の両日、園で当直として働いていた職員4名に絞られていき、その一人である山田さんには変な行動があったということで、あやしいとなっていったんです。
具体的にどういうことがあったかといいますと、まず、子どもが浄化槽で発見されたときに、山田さんが激しく泣いたっていうんです。山田さんは、自分の当直の日である17日に園児が行方不明になったので、17日、18日、19日と家にも帰らないで、学園に残って一生懸命探したんです。やっと見つかったらそれは死体だったと言うことで、一気に悲しみが噴き上げてきて、泣いてしまったわけです。また、学園がおこなった、子どもの葬儀の時にも激しく泣いた。子どもがお棺に入って最後にお別れをするときに、山田さんだけがそれにすがって泣いた。それも怪しいとされたんです。
それから警察の事情聴取の際、そのやりとりのなかで警察が山田さんに対して当然施設についていろいろなことを聞いたんですが、山田さんのほうからも警察の人に、警察のほうはどうなっているんですかみたいな話をしたんです。そのなかで、たとえば刑務所と留置場はどう違うのとか、食事はどう違うのか、というようなことを山田さんが聞く場面もあったんです。警察はそのことをもって異常な言動だとしたんです。
もう一つ、警察が山田さんを疑った理由は、実は事件があったとき、山田さんは生理がはじまっていたということです。警察は職員が園児を殺す動機がわからないなかで、要するに生理の時だったのでおかしくなって殺人を犯してしまったんだろうと考えたんです。
そのような理由から犯人として山田さんが疑われていったんですが、この事件はよくわからないということで、警察の捜査は園内の職員の男女関係など、かなりプライバシーに踏み込んだものに及んでいったんです。そこで職員はそういうプライバシーに立ち入った事情聴取について、警察に抗議するようになっていったんです。実は、職員のなかに警察に抗議文を出した人もいたんですが、そのなかに山田さんが名前を連ねていたということも、警察に目をつけられた理由の一つだとされています。
そういうことで山田さんは逮捕されました。おそらく警察は、逮捕すれば犯行を認めるだろう、そして事件の全体が解明できるだろうと考えたんだと思います。

・・・・・記憶があいまいなところをどんどんつけこまれていって・・・・・
先日、愛媛県で、窃盗事件で捕まってその日に自白した人が、本当の真犯人が出てきて、無罪判決が出たという事件がありました。しかし、普通の人は、やっていなかったら自白はしないだろうと思います。ましてや、殺人事件で捕まっているのに、やってなかったら認めることはないだろうとたくさんの人たちは内心そう思います。私は、それは自白の問題についての今までの説明のしかたに一つ問題があったのではないかと、常々思っているんです。
昔なら、拷問されて苦しくて自白をしましたという例が結構ありました。これはこれで、非常にわかりやすいパターンでした。人間誰でも、肉体的な拷問を加えられて苦しくなったときには、やってないとがんばり通せるわけではない。ましてや取調室という密室のなかで、警察に殺されるかもわからないという意識を持った時には、やってもない自白をするということはある。それが殺人であろうとです。それはそれでわかりやすい。そういうことは最近でもなくはない。しかし、最近は、違った要素のなかで自白が得られるケースがあるんです。
甲山事件でいえば、警察は、やってないと言うんだったら自分のアリバイが説明できるはずだ、アリバイが証明されたらやってないということを認めてあげようと、捕まっている山田さんにアリバイを説明させるんです。それも大ざっぱなものでなくて、分刻みの細かなアリバイを全部証明しろというわけです。それで、彼女は一生懸命、自分が逮捕された二十日くらい前である事件のあった日のことを思い出そうとするわけです。夜七時半から八時半くらいの、その一時間くらいのアリバイを思い出しながら、説明するということになっていったわけです。しかし、そんなこと細かく過去のことを思い出せと言われても、人間はなかなか思い出せないのが普通です。しかし、それを思い出さないと無実が証明出来ないということで、彼女は一生懸命思い出そうとし、実際に思い出したことをいろいろ言っていったわけです。ところが警察はいろいろな裏付け捜査をしている。その時間帯の出来事についていろいろな関係者から話も聞いており、彼女が言ってることの間違いを指摘するわけです。それは違うじゃないか、誰々さんはこういうふうに言ってるぞ、というかたちでいろいろ言ってくる。やがて警察が言うことが、本当なのかと思うようになっていく。警察は、この時間帯には誰々はこう言っているという話を突きつけてくる。しかし、自分は思い出せない。どうしても思い出せないというかたちで、たとえば十五分間くらいの空白時間がつくられてしまう。自分がいくら説明しても、嘘だ、違う、と言われる。そういうなかで警察は、君は本当はやっているんだ、それを忘れてしまっただけなんだと言う。警察は山田さんのお父さんやお母さんについてもあらかじめ調べており、山田さんに対して君のお母さんは健忘症にかかっていたと告げ、それを聞いた山田さんは、もしかして自分も本当はやっているのかもしれない、ただ忘れてしまっているだけかもしれない、と思っていったわけです。では、どういうふうに、そしてなぜその子どもを殺したのかとか、次々に聞かれたわけです。なかなかそれは説明できないという状態のなかで、警察のいろいろな誘導と自分の推測を交えて、いわゆる自白調書ができていったんです。警察は、君は忘れているんだから思い出させてあげようというかたちでいろいろ誘導していき、本人もそれに沿ったかたちで、自分は本当はそういう記憶がないのに、あたかもそういうことがあったかのように述べていく、ということが如実に出てくる、そういう調書になっていったんです。
やっていない人が自白する一つのパターンとして、やったと思い込んでしまうということがあります。人間の記憶はあいまいなもので、そこにつけ込んだかたちで捜査側が情報操作をし、本人にその気にさせて、思い込んでいかせ自白させるというパターンです。土田・日石ピース缶事件という事件がありました。被告人は最終的に無罪になったんですが、被告人は爆弾をつくったと疑われました。実は、いまでも自分はそういうことをしたのではないかと思っている被告人の人がいるんです。客観的に違うことであっても、自分の記憶としては思い込まされてしまうということがあるんです。
一度自白して、自白調書ができると、これを覆すのは大変です。私たちの目からすれば、何でこんな曖昧な自白調書に信用性があるのかということになるんですが、検察官の理屈によれば、弁護士が接見して、黙秘しろとか撤回しろとか言うからそんな変な調書になるんだ。などということになるわけです。そしてその調書は、十分信用できるという主張をするわけです。裁判官についても自白をする人はどういう心理で自白するのかということについて、やっぱり十分な認識をもっていない人が多いと思います。やはり、やっていない者がなんで自白するのか、やっていなければ認めるはずはないという先入観があるんです。

・・・・・事件から三年もたってから再逮捕されたが、その証拠というのは・・・・・
山田さんは検察官のもとでは自白はしませんでした。検察官は、警察から上がってきた調書を見ても、どうもこれはおかしいということで不起訴にしたんです。第一次捜査の検察官は、非常に賢明な判断をしました。
こうして不起訴になった事件で、なぜ山田さんが事件から三年後に再逮捕され、起訴されたのか。それは園児の新しい目撃供述が出てきたということだったんです。
実は、山田さんが不起訴になった直後、亡くなった園児の遺族から、不起訴は不当だという検察審査会への申立てがあったんです。検察審査会は約一年にわたって審査をした結果、不起訴は不当だという決議をしたんですね。それで神戸地検が再捜査を始めたんです。
再捜査は検察が主導的に動いたんですが、第一次捜査に携わった警察官に事件の捜査をさせました。園児にも当然あたらせたところ、なぜか園児の口から、山田さんが子どもを連れ出すところを見たという供述が次々と新しく得られていき、調書ができたんです。そして検察官としても調べてみて、検事調書ができ、再逮捕・起訴となっていったんです。
ところが、この園児の目撃供述というのは、証拠としてはおかしなものだったんです。通常、新証拠というのは、たとえば捜査の範囲を広げて、前は話を聞かなかった人に新しく話を聞いたとか、新しい証人が出てきて、その人に話を聞いたところ新しい供述が得られたとか、つまり第一次捜査のなかではひっかからなかったところの捜査をした結果得られた証拠を指すのが普通です。ところが、この新しいことを言い出したという園児たちは、第一次捜査の時に、すでに執拗に、何回も警察から話を聞かれて、供述調書もできているんです。そのなかでは、もちろん、山田さんが子どもを連れ出すところを目撃したなどとは一切言っていなかったんです。そういう本来の意味での新証拠とはちょっと違う性格のものだったんです。
なぜ、第一次捜査のときは得られなかった園児の証拠が三年後に出てきたのか。検察官は、第一次捜査のときは口止めをされていたからしゃべれなかったんだと説明しました。しかし、警察には一切協力するな、何もしゃべるなという口止めだったら可能かもわかりませんが、そうではありません。第一次捜査で普通に供述調書が出てきているんです。第一次捜査の段階では山田さんを目撃したということだけを除いて園児が供述したというんですが、そんなことができるわけがありません。最近、当時園児の取調べにあたった検事が、いま弁護士をされていますが、インターネットに自分のホームページをつくって「私説・甲山事件」ということを書かれました。そこでは、自分は実際に園児を調べたけれども、口止めされている雰囲気は一切なかったと書いているんです。それはそうだと思うんです。彼らはプロですから、これは口止めされているな、ということは敏感にわかるはずなんです。実際、起訴した検察官はいつの時点でどういうふうに園児に口止めしたかについては、主張も立証も一切できませんでした。子どもがいなくなったその日、職員は園の中を探しまわり、園児みんなに「誰々ちゃん見なかった?」と聞いて回っていたわけです。しかし、誰も山田さんが子どもを連れて行ったなどということは言わなかったんです。常識的に考えても、山田さんが子どもを連れ出したことが、口止めされたことによって三年間明らかにされなかったなんてことはありえない話なんです。

・・・・・アリバイ証言を偽証としたり、警察から引き出した供述のみに飛びつく中で・・・・・
この事件では、園長さんと同僚の保母さんを山田さんのアリバイについて嘘の証言をしたということで、逮捕・起訴したことにも大きな特徴がありました。山田さんは逮捕されたことを不当とし、国家賠償請求訴訟を起こしたわけです。いわば、市民が国を相手に起こした裁判で、形式上は民事裁判です。普通民事裁判でしたら、原告・被告はそれぞれ私人ですから、警察や検察は介入しません。ところが、この事件では一方当事者である国が、相手方の証言を偽証として、逮捕・起訴したんです。偽証罪をこういう場面で適用したのは異例なことでした。
検察官がなぜ園長さんと同僚の保母さんを逮捕・起訴したかというと、やはりこの事件で山田さんを犯人とするには、証拠が少ないと考えたんだと思います。山田さんにはアリバイがあるという園長さんたちの証言が嘘だということになれば、本当は山田さんがやっているんだということになっていく、そういう一つの間接的な証拠にしようと考えたんだと思います。
もう一つは、山田さんの犯行を否定する人たちにプレッシャーをかけたんだと思います。国賠訴訟で証言した園長さんや保母さんが偽証罪で逮捕・起訴されているとなると、今後その刑事裁判で山田さんや園長さんに有利な証言がでてこないようにするために園長さんたちを偽証罪で逮捕したんではないかと思われます。
この事件は、もともとは施設のなかでの子どもの死亡事件で、何ら政治的な色彩を帯びた事件でもなんでもなかったんですが、山田さんが最初起訴されずに釈放されて国賠訴訟を起こしていくと、国の側が歯向かって来たなという捉え方をし、政治的な色彩を帯びた事件になっていき、検察官がやっきになって、アリバイ証言をした人を偽証罪ということで逮捕していく、そして裁判に公安部長が出てくるとか、そんなことで長引いていったんです。
実は再捜査の過程で、警察もまったく予知していない園児からのとんでもない供述がでてきたんですが、そのことに対する検察官の対応も裁判を長期化させた重要な要因となりました。
どういう供述かというと、一人目の死亡事件があった17日、自分が手を引っ張ってその子どもを浄化槽に落としたという園児が出てきたんです。その園児は浄化槽の蓋を開けたのも自分だということを言いました。そういう供述が出てきた時点で、本来は、検察官はこの事件の抜本的な見直しをしなければいけなかったんです。
第一次捜査の過程で、検察・警察は、17日の夕飯の時に子どもが食堂に来なかったんで、山田さんが心配して探しにいったら、子どもが浄化槽のところに立っていて、それでその子どもの名前を呼んだら、振り返ってよろけて、その時に落ちてしまった。山田さんは慌ててしまい、助けることもしないで蓋を閉めてしまった。自分がその日当直でいたということで自分が犯人だと疑われるんじゃないか、他の人が当直の時に他の子どもが同じように行方不明になって死ぬことになれば、自分が疑われることもないんじゃないかと考え、19日にもう一人の子どもを殺した。だいたいがそういうストーリーで殺人の動機の説明をするようになったんです。他の園児の一人から手を引っ張られて、落ちてしまったということとはまったく違うんです。私たちは、繰り返しこの問題について検察官に釈明を求めましたが、控訴審の裁判所もそこに着目して、第二次捜査の検察官を批判して、本来はこの園児の供述が得られたときに、検察官はこの捜査の見直しをすべきだったと指摘しました。
事件から無罪確定まで25年かかった、その大きな責任は、やはり検察官にあったと思います。
裁判所は、基本的には、この事件では妥当な判断をしてきたんです。殺人事件としては珍しいことに、再逮捕のあとの勾留延長を認めないで保釈を認めたんです。それも、裁判も始まっていない段階ででした。やはり、裁判官は、この事件については、逮捕・起訴はおかしいという目をずっと持っていたんだと思います。第一審は無罪判決、差戻審も無罪判決。第二次控訴審も控訴棄却。実は、一回も有罪判決というのはないんです。
唯一、第一次の控訴審はおかしな判断をしました。三年後に突然出てきた、子どもを連れ出した山田さんを見た、という園児の供述を信用してしまいました。しかし、その第一次控訴審の裁判所ですら、いわゆる自判で有罪にすることはできませんでした。それで、一審に差戻し、差戻し審で無罪になってこれで終わると思ったんですが、検察官が再度控訴して、第二次控訴審でやっと控訴棄却で確定したわけです。したがって、この事件においては、裁判所の判断はおおむね妥当だった。裁判を長期化させた検察官の責任は重大だと思うんです。

・・・・・証拠開示制度の確立、取り調べの可視化が必要・・・・・
この事件は、なぜもっと早く決着をつけることができなかったのか。一つは制度上の問題なんですが、証拠開示の問題があると思います。
自分が手を引っ張ってその子を浄化槽に落としてしまったという園児の調書については、私たちは最初からわかっていたわけではありません。執拗に証拠開示を裁判で争って、やっと開示させたという経過があります。そもそも検察官は、すべての園児について調べているはずですから、そういうものが開示されず、真相の解明が遅れていったということです。
冤罪事件と裁判の長期化の防止のためには、ぜひとも法の改正によって証拠開示制度が確立される必要があると思います。


二つ目は、取調べの可視化、つまり、取調べをビデオテープとかテープ録音とかで、きちっと保存すべきだということです。
たしかに、甲山事件の場合も、園児の調べは録音されています。しかし、私たちがその録音テープを初めて聞いたのは、最後の最後、第二次控訴審の裁判でした。そして、それは非常にスムースなやりとりをしているんですが、それはあたりまえで、実は、録音するにあたり園児と事前にいろいろな練習をしてつくられているんです。私たちは、園児がスムースに供述してるからといって信用できるわけではない、証拠になるわけではない。園児がもともとどういうことを言っていて、それがどういう過程を経てそういう結論になったのかということを調べるためには、テープを全部開示してもらわないと意味がないんだと主張したんですが、検察官のほうはそのテープしかないと言い張ったんです。
実際にはもっと多くのテープがあるはずで、それをすべて裁判に出せば、そのテープを聴けば、裁判所も、弁護人も、検察官も、傍聴人も、冤罪事件であるかどうかが比較的早い時期にはっきりする、すべてわかるわけです。仮に、本当はやってないという主張をして裁判をしたとしても、そういう証拠が出ることによって、検察官のほうも有罪立証が進むわけです。逆に、やってない人がやっているという自白をしたとしても、裁判所でテープの証拠調べをすることによって、やってないってことがわかるわけですよ。なぜ、そういうことをきちっとしないのか。やはり現実におこなわれている取調べがいろいろな無理なかたちで行われているからに他ならないんです。
それから甲山事件の場合は検察官が二度控訴したんですが、検察官の控訴権を制限できないかという問題もあるんです。英米では、無罪判決に対しては検察官控訴はできないんです。日本は三審制をとっているという建前で、無罪判決に対しても検察官控訴あるいは上告もできるんです。しかし、二重の危険という理論を適用して、検察官控訴は認められないという学説を展開する学者もいるわけです。そういう説が、現行法の解釈として無理なら、法改正によって無罪判決に対しては検察官の控訴・上告権を制限すべきと思います。これも冤罪と裁判の長期化を防ぐための課題だと思います。
長い勾留期間を欧米並みに短くするとか取調べに対する弁護人の立会権を確立するとかの課題もあります。そして何よりも、冤罪事件は事実認定の誤りによって生じることが多いわけですから、市民の常識的な判断が生かされる裁判システムの確立が必要なんです。それでいま、日弁連は司法改革の中味として陪審制の導入と法曹一元を要求しています。
私自身は大学は法学部ではなかったんですが、甲山事件と触れ合うことになる中で、法曹の世界に入ることを決意し、勉強を始め、続けることができ、合格することができました。私はみなさんに、試験をどういうふうにクリアするかという問題だけではなくて、やはり自分がどういう法曹になりたいかということをしっかりと考えて。目標を決めてそれに向かって勉強していってほしいと思います。以上で私の話を終わらせていただきます(拍手)

[質疑応答]

質問ーー

市民から選ばれた人で構成された検察審査会が、不起訴不当という間違った結論を出すようなことでしたら、陪審制を導入して市民に判断させようとしてもやはりだめだということになりませんか。


答えーー

この事件において検察審査会がどういう審査をしたかといえば、警察官を呼んだり、職員で山田さんがおかしいんじゃないかと言ってる人を呼んだりとか、そういうことしかしませんでした。第一次捜査のときについた弁護士とか、あるいは被疑者とされた山田さんとか、あるいは支援している人たちとか、そういう人はいっさい呼ばれていません。山田さんが怪しいという人たちだけを呼んで調べれば怪しいという話になるのは当然のことです。

それは陪審制とは基本的に違うわけです。陪審制は、被告人には弁護人がいて、弁護人側が申請する証拠についても陪審員が直接調べるわけです。被疑者側の証拠はあまり調べない検察審査会とは違うんです。
検察審査会は秘密になっていて、内部の審議の過程はわかりませんが、検察審査会の判断に誤りがある場合があるとしても、陪審制になる市民の判断も同じだということにはならないと思います。

甲山事件のことをもっと知りたい方は、次の本を読んでみて下さい。

いずれも私が協力したもので、私の名前が出てくるものもあります。

・「記憶の闇」(松下竜一著・河出書房新社)

・「証言台の子どもたち」(浜田寿美男著・日本評論社)

・「甲山報道に見る犯人視という凶器」(木部克己著・あさを社)

 

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